2011年12月11日日曜日

滑稽な祈り


滑稽な思い出。

すこしむかし。
団地の集まりから、家にもどる途中のことだった。
無神経、失礼、ナニ様なのかアンタは、等々、等々!
カンカンに怒った私は、路上でバッタリ出会った知りあいの奥様に、
いま、こんな侮辱をうけたウンヌンカンヌンと言いつけ、
「もう頭にきた。あんな人、死んでほしい。ガンかなんかになればいいんだわ!」
この言い回しは、私のふたりの息子の、より激しやすい方が、
時々会話の途中にはさむ捨てゼリフで、彼からの借用である。
奥様は親切な方で、
ふーん、ふーんと大真面目に話を聞いて下さり、
「そうですね、それは本当に失礼だわ、あなたのおっしゃる通りです。
あなたが腹をお立てになるのはホントごもっともですよ。」
この方は私とちがって終始年下の私にも敬語の文体。
問題の解説までしてくださり、最後はにっこり、
しっかりと温かな声音で、次のようにおっしゃったわけである。

「あのですね」
ええ、と私。
「ではね、あなた。わたくしがお祈りをしてさしあげましょうか?」
お祈りって? と私はたずねた。
そういえばこの奥様は熱心なクリスチャンなのであった。
「ですからイエスさまに、あなたのお願いを叶えていただけますようにって。」
私の? お願いをですか?
「そうですよ」
なんておっしゃるの、イエス様に?
「ええ、ですからね、その方がガンになって、死にますようにって」
「!」
「お祈りしてさしあげましょうか?!」

「だって」と私は言った・・・私って無神論なのである。
そんなこと。そんなお祈りをして大丈夫なんですか?
神様やイエス様に、そんなこと頼んじゃってもいいんですか?
第一、きいてくださるかしら?
・・・・・会話はウソみたいに進行、奥様は目をくりくりさせてニッコリし、
「それは、わかりません、お祈りをきいていただけるかどうかは。
なにしろですね、右の頬を打たれたら左の頬を差し出すようにって、
そうおっしゃっるような方々ですからね。なんともわかりません。
でもね、こちらからお願いするのは自由でしょ、ね?」

ユメみたいなことが起こった。
そんな自由が、お祈りにあるなんて知らなかった。
「赤毛のアン」だとか「足ながおじさん」の世界ならともかく、
ここは、夢も希望もないうちの団地の灰色の路上だ、北風が吹いているのだ。
こんなおかしな会話ってあるもんだろうか。
なんだか傑作、笑えてきちゃって、私はこの冗談にノルことにした。
フンガイしていたからである。
「おねがいします!じゃ、お祈りしてください、ガンになって死んでほしい!」
「わかりましたよ!」
奥様は力づよい声でうけあい、私たちは左右に別れた。

「つぎこさーん、つぎこさーん」
家に向かう私を、うしろから誰かが呼ぶ。振り返ると、奥様が走ってくるのである。
彼女は息せき切って私に追いつくと、両腕にあまるほどの量の花束を持たせた。
大輪、深紅色のみごとな薔薇の花束である。
「いい?、これはね、深紅でしょ。あなたの怒りの深紅ですよ。ねっ!」
娘夫婦のために昨日、家の薔薇を伐ったのですけれどと奥様はおっしゃり、
「もう子ども達も帰りましたから。あなたの怒りの記念にさしあげますわね」
にこにこ!

こんなお話をしたところで、誰が信じてくださるものかしらん。
あれから何年もが経過し、ときに、私はお祈りの対象のダンナとすれちがう。
健康!