2011年12月28日水曜日

映画 未来を生きる君たちへ


「未来を生きる君たちへ」
スサンネ・ビア監督  デンマーク、スウェーデン
本年度アカデミー賞 最優秀外国映画賞、ゴールデン・グローブ賞 最優秀外国賞。

小田急新百合ヶ丘駅のKawasaki/ART/Center アルテリオ。
どうかアルテリオがつぶされませんようにと、私は願う。
企画がいい。居心地がいい。内装が文化的。北欧風というか。
むかし新宿伊勢丹ヨコにあったアート・シアターのモダン川崎版。
川崎えらいぞという感じ。

「Biutiful」と「未来を生きる君たちへ」と。
この二作品の共通点と比較。

MEMO
二作ともに、人間性の根本に迫る大作。
おまえだ、おまえが戦え、おまえがなんとかしろと
ひとりひとりの観客に語りかけるような大画面は、
さわやかにして、すがすがしい後味のものである。

監督は、一方は男であり、もう一方は女である。
それなのに両作品とも、ヒーローは、男性で父親である。
母親、女はただの脇役である。
父親が、素手で人類の絶望の手当てをしている。
しかも、ふたりとも基本が非暴力、暴力ナシの人だ。
私たちがフツウ使えもしない暴力に、ユメを託したりしない映画。

主役それぞれのヒロイズムは、
革命とか改革とか民主国家の与えうる治療方針とか、年金とか保険とかの、
日本人のこの私が未練たらしくこだわっている20世紀的希望の、
みるも無残な崩壊のもとで、発揮される。

良心的で、愛情ぶかく、正確なドキュメント。
しかし、である。
いくら手当てしようが、映画の画面に解決は、ない。
地球と人類は、ストーリイの枠の外側で、沈没の度合いを深めている。
二作品とも。

希望がなければ表現の必要はないものだ。
私たちの小さな身の回りのなんでもがそうではないか。
私のブログ、オランダでくらす娘の仕事、息子たちの演奏する音楽。
膨大な資金調達なしにはできない映画でさえ。

したがって、
二本の映画では、希望 がとにかく描かれる。
家族の存続再生というテーマを通して。
うん? 家族の再生が人類救済に繋がるという結論? 
どうしてだろう? それが現実的な回答なんだろうか?
真実はどこにある。
いっときの癒やしではなく、
確固たる希望に至る「作品の答え」というものは。

スペインとブラジルの「Biutiful」では、
人類が滅びないという希望(子どもの命)は、世にもひ弱な者に託された。
漂泊する移民の若い女と赤ん坊に。
大都会の隅で、もうすぐ死ぬ主人公に拾われた若い母親に。
デンマーク、スウェーデンの「未来を生きる君たちへ」では、
主人公たちが、家族再生という枠組みだけは、自力で取りかえす。
当然といえば当然だ。
教育と国家の保護を獲得している北欧の親子が、主人公だからである。

勇気は、愛から。
愛は絆から。
絆はもともと血から。
できる努力はまずそれ。
そこに未来が見えてくる。
そういうことなんでしょうね・・・・・・。


でもヨオ、なんどでもなんどでも おいらに言ってくれよ
地球が破滅するなんて 嘘ダロオ、ウッソ、ダロオ!?
-RC covers-