2012年9月3日月曜日

無名人


在田さんと池田さんが一年ぶりにたずねてきてくれた。

足りないものがあって、朝、買い物に出てもどったら、
うちの前にクルマがとまって、はや在田さんがいる。
「池田さんは?」ときいたら、「もう、中に入って待っている」という返事。
彼らって警視庁みたいに時間厳守な人たちなのだ。
在田さんだけ、見張りみたいに外で待っている、というのも律儀である。

池田さんは足がよくないらしい。でも、にこにこしてソファに腰掛けていた。
ラッキョウとお茶と、お赤飯にバナナケーキに薄荷のケーキなんかのおみやげが、
どんとテーブルに載せてあった。手作りなり。
お赤飯があるなら、お昼ごはんは、素麺をやめておかずだけ作ろう。

話をする。
彼らふたりは、修理や掃除や介護のプロだ。当然迫力がある。
私なんか夕べは床に無公害だとかいうワックスまでかけちゃった。
寡黙な人たち。どんな話もどっちかがすごくよくわかるというのが興味ぶかい。
おもしろい組み合わせだなあと、私はいつも思う。
在田さんと私はかつて同じ市に住み、同じような住民運動にかかわっていた。
それぞれの運命およびカルマによって家族はバラバラ、生活も変わった。
都市生活者というのは、みんなこうかしら。
変わらないのは、私たちが「カネにならない生き方」の見本だ、ということかなー。
永 六輔いうところの無名人。

話しながら池田さんは着物をほどいてくれる。
在田さんはふらりと立って食器戸棚のゆがみをコツコツ、
「ダメだこりゃ、どうにもならんな」とか、言う。
私は一年前に書いた文章をさがした。
ふたりはそれを読み、おたがいに文章を交換し、それから黙って私に返した。
「なんでもアリタさん」と、池田さんについて書いた「秋風や」である。
能力の交換とでもいうか。

ふたりが帰るとき、玄関でよくよく眺めたら、
在田さんは、鳥打帽子に紗の濃紺の作務衣、それに運動靴である。
「なによー、どういう格好なの、大正時代じゃないの、まるで!」
おかしくなってそう言ったら、
「これでニッカーボッカーならばってか?」
在田さんはニヤリとし、池田さんとふたり、紗で丈夫だし涼しいのだと強調した。
これさえあれば、仕事でもなんでもやれる、どこへでも行けるし、と言うのである。

在田さんってパンクだな、と私の長男なら言うかしら。