2012年9月1日土曜日

週刊文春の吊り広告


電車に乗ると、吊り広告をけっこうヒマつぶしに読む。
きのうは週刊文春の広告に、「韓国・中国を屈服させる方法」とあった。
私はギョッとして自問自答した。自分はどうか。
韓国や中国を「屈服」させたいと思っているだろうか?
屈服で国交安定? 屈服させて友情? コワイ考え方だ。
ライブハウスにいたイギリス人にきいたら、彼はなんて答えるのかしら。
この世は日本人だけでデキているわけではない。
文春の記者は、外人記者クラブに行って、おなじ意見を堂々と表明してみてはどうか。

こんなことも思う。
いつのころからか、電車に乗ると、韓国語の案内が目立つようになった。
DVDを借りに行くと、韓流コーナーができ、そこには大量の作品が並んでいる。
レストランやカフェには、たどたどしい日本語をあやつって一生懸命働いている
韓国人や中国人がいる。在日韓国人も多い。
多いからこそ電車の表示にハングルが登場するのだ。
大勢の彼ら彼女らが交通費をはらって電車に乗ってくれていることを、どう思うか。
京王線は? JRは?
その人たちが「韓国・中国を屈服させる方法」というデカ見出しを読むなんて?
学校に通う在日の子どもたちの心細さや恐怖ってどんなだろう?

こうも思う。
韓流ドラマが大流行だというのに、
私たち庶民は、竹島問題が起こると、即座に手の平を返すのか。
韓国の屋台料理をほめ、イケメンに血道をあげ、
スターがくると空港まで迎えにいき、歌手の公演チケットは完売。
韓流スターが自殺すると泣いて葬儀に300人が直接参加、
ありがとう、あたたかい心を教えてくれて!と叫ぶ。
平和があって、そんな熱い気持ちがせっかくあったのに、
相手国家を屈服させようといわれるとスンナリ無関心、そうねとなっちゃうの。
ちょっと待ってよく考えてみたい、と少しは思ってみるのが自然なんじゃないの。

そこに人間の存在があるかぎり、
いつも、気持ちはあたたかくなくちゃ、と思う。