2012年9月6日木曜日

旅に出た


短い旅をする。
山あいを夜になって自動車でハラハラしながら通る。崖から落ちたら困る。
「おかしいな前がよく見えない、・・・霧がでているのかな・・・」
運転しながら息子がそう言うのがこわい。霧なんか出てないわよ。

話がまたいやだ。
「さっきね、露天風呂にバッタがいた。溺れてたから助けた」
そう言ったら、
「たぶん、今夜の夢に巨大なバッタがお礼に出てくるだろうね」
想像すると、助けたんだからこわくはないがイヤである。
「あんたはだれも助けなかったの?」
「クモがいた」
「助けなかったの?」
「助けたけど死んでた」
なりゆきで、
救助が遅すぎると蜘蛛が恨んで出てくる図を考えてしまう。

やっと山あいを抜けて、道路が平坦になり、自動車道になる。
でも左右に黒々とした山が待ちかまえていた。
「うわっ、すげえ。いやな月が見える」
「えっ?」
なるほど、凄みのある、月ともいえないような月がダラッと前方にいる。
低いところで待ちかまえているようなのがこわい。
いやなオレンジ色だ。大きくて欠けて傾いて、尋常とも思えない。
天変地異である。
「あれ、本当に月?」
山の横にひっかかってこっちを見ているようだ。
「月以外のなにものでもないでしょう、あんなの」
「雲のせいよ、こういうとき、ああいう形になるのって」
自動車もたてこんできたし、あんまり話しかけるとよくないけど、
「見てよ、あのどろりとした・・・」
この私の、どろりと、という言葉が一生忘れないぐらいイヤな形容だと息子が言う。
オバケ屋敷用語だしオトがすごい、と言うのだ。
そんなかしら。
どろりと、が?
月が相手じゃなければこわくないのよね、たとえばメリケン粉がどろりなら。

やがて暗黒の山はなくなり、ビルディングが林立しはじめた。
そうなればなるほど、どうしてだか月はスッキリさわやかになり、
欠けてはいても、ウサギがいて、怪奇な色もわずかとなったのである。