2015年1月7日水曜日

「木曜日は遊びの日」


ここのところ、どんなにどんなに探しても、布の上履きの片方が見つからない。
あんまり見つからないので、夫婦げんかしてとうとう離婚したのかとおもう、上履きが。
ピエール・グリバリ(フランス人)にも、多分こんな時があって、だから
「むかし、一足の夫婦の靴がありました。
右側が夫で名を二コラといい、左側が妻で名をティナといいました。」
で始まるおとぎ話を思いついて書いたのかしら。

うちには、子ども時代からの童話がたくさんあるが、グリバリの「木曜日は遊びの日」は、
復刻版がでた時、大喜びして用心に二冊買ったぐらいの本だ。
 ヒトに貸すのか、自分でなくすのか、すぐどっかに行っちゃう比較的うすい岩波少年文庫。
ヘンな本で、挿絵がまたヘンだから、小さい時はあまり読まなかった。

フランスには放浪する生活にあこがれる、なんとも貧乏をきらわない物語がある。
その詩的な、青い風船のような軽さにあこがれることで自己肯定する自分というもの。
ふらふらしていたい。だからふらふらするけど、ふらふらするから、一向にまとまらない。
たいていの人って、みんなそうじゃない?
ピエールとロバンソンという映画なんかすごくグリバリ的だ、人生観が。
主人公のふたりは盗品と粗大ゴミを集めて、海辺にレストランをつくる。
引き取り手のいない老女と、こどもが生まれそうな子連れシングルマザーまでひろいながら。
砂上にできたレストランは屋根なしで・・・みはてぬユメではないか・・・。

まーとにかく、こうも上履きが片方見つからないって、ワケがわかんないわよ。