2012年2月18日土曜日

幸福  ディエゴの録音


ディエゴが録音をしている。
見に来ていいよと言われて下北沢へ。

防音扉を開けると、録音の機材やドラムセットやなんやかんやでいっぱい。
そのいっぱいの入り口ちかくで、イマさん(ベース)が録音中。
ドラムは先週録音済みなんだとか。
楽器ごとに、べつべつに吹き込む、ぜんぶを? 
それをあとでいっしょにするの?
本気のイマさんは笑顔のときも無表情のときも、かしこまっているときも自然。
きっとレコーディング・ディレクターのタイタイが、芸術家だからだろう。
職人は自分の仕事にはすごくきびしい。あるいはすごくきびしそうに見える。
そしてたいていの場合、理解力があっても不必要に意地がわるい。
タイタイはおそらく、敬意をはらわれて、他人をおどかさない。
責任をきちんと分けあってくれて自由にさせる。
そういう感じがスタジオの空気でわかって、気分がいい。
たいしたことだなーと思う。

「こんど聴く時は、カアサンにもイマさんの弾くベースがちゃんとわかるよ」
そうたけしに言われた。
むりかもなー。
わたし、その点じゃ、ちんぷんかんぷんなのよね。
彼女の演奏は
ディエゴでいちばんいいのだとか。
ふうん
ふうん
そうなの
と言いながら
なんにもわかっちゃいないわたしとしてはそこの椅子にこしかけ、
えんりょして、きいているばかりである。
イマさんのベースを弾く音はやわらかくて
どこまでもどこまでも、のびやかにころがっていく。
あたたかみのあるレイン・ドロップ、それがうねうねとうねうねとつづくのである。
金属の楽器って、持ってみるとヒンヤリ固いし、重いものなのに。

これじゃなんだかさっぱりわかんないでしょ、といわれるけど、
音楽をつくる場所にいるのって、それでもとても楽しいことよね。
きらくにして、どこでもすきなところにいていい、と言われたからなおさらね。
人間じゃなくて猫だったらもっとのんびりしたかもしれないなと思う。

タイタイはながくドラムの人だったけど、
いまは、漢字でいえば独立音(オト)管理演算装置家というところか、
姿かたちがまことこの職種にぴったり、
各種機械とおなじく、この音楽のスタジオの簡素な空気に同化して、
おとぎ話のようなことである。

録音のための機材は、すべて彼のものだときいたが、
陽ざしに古いキズあとがうかぶような機械の、
大きかったり、すごく重そうだったり、
そらおそろしい機能をみせるコンピューターもそうだけど、
音を調整し編集するすべてを、彼は自分のクルマで運んでくるのだそうである。
そういう複雑神聖な機械道具が、わたしには、
長男の、あの調整が難しいカマドだとか、
一切合切そろえるのがおそろしく大変なことだったろうパン職人の機械類と
まるで同じもののように思われて、感動だ。
最近じゃめったに見ることができない希望というものを見ている感じ。
・・・ジプシー状態。
だけど馬車じゃなくてクルマ。エレキだし。
どこへでも運んで行けるって、自由でいいなあとうらやましい。

職人にとって技術および道具の獲得は、ひとまず精神と生活の独立をものがたる。

さてその自由と独立に、平等博愛というものがくっつくと、
それはえらく高くついて、ヒトを貧乏のどん底近くに突き落とすが、
博愛と平等がなければ、すがすがしい未来なんかやってこないのだ。

時がすぎてゆく・・・・。
なにかを創って今の今をまともに過ごす。
時は、自分が作り自分が飾り自分が責任をもつものだとしか思えない。