2012年2月29日水曜日

文字化けのような一日  (弐)


じゃんじゃん裏道をクルマで走り、途中コンビニで履歴書と糊(のり)を買う。
写真を貼り付けるのは簡単、履歴を書くのが重荷。
あっちでもこっちでも働いたから、いっぱい書かなきゃならない。
そういう人生に言いわけがましい気持ちになって、げんなり。
私ってなんでこうもハンパでまとまらないもんだか。
でもそう思うそばから、こうも思う。
そりゃそうだけど、こうなったら書類だけでもどうにかして作ってやる!
一日で提出できたらおもしろいじゃないの。!
まあ習い性、私はずっとこうやって世渡りをしてきたわけである。

歯科医院に着く。
午前中いっぱい、懇切丁寧な(!)治療を受ける。
治療中は割り切ることにしてのんびり眠ってしまったら、
「もしかして、睡眠時無呼吸症ではありませんか?」
と先生が。ふつうは眠らないよ、と。
「睡眠してる時、夜中に呼吸してますか?」
わかるわけないじゃないですか  
親切で人格者の先生にそんなこと言えるわけないけど、言いそうになる!
ああ書類、書類、書類。
夜中、熟睡してるのに、アッ息を止めたなと自分でわかる人がいるもんか。
と思ったらもうすこしで噴き出すところだった。

一時。みちゃんが来た!
長男のパン屋でパンだのサンドイッチだのを買って、踏み切りむこうの
《あくび》へ行こうと、それが前もっての約束である。
《あくび》は高級珈琲屋で、「持ち込み可」なのがめずらしい。カップもステキ。
でも今はそんなことにかまっちゃいられない。
「お金はあとで払いにくるから!」
私はサンドイッチなどをひっつかむ。
とにかく珈琲屋へ行って、書類を作らなきゃ、食べたら書かなきゃ、
締め切りが五時なのよ、自分で持って行かなきゃだめなんだって、などと連呼、
なんにもわかってないみっちゃんを引きずって、踏み切りを渡る。
おとなしいみっちゃんは、どうしたの、またなにが起きたの、とおかしそうだ。
「私さあ、手伝ってもらわなきゃ間に合わないのよ!」

みっちゃんって私の天使で、こういう時ぜったいアテにできる人なのだ。
どんなにあきれかえったって反対しない。なにをしたらいいの?とたずねてくれる。
あーっ写真切り抜くハサミがない、ないと騒げば、自分のバッグを持ち上げ、
「これでだいじょうぶかしら?」
彼女は裁縫用小物入れから品のよい小さなハサミをとりだすのだ。
「切れるかしら、これでも?」
首をかしげ、そろそろと写真を切り取り、履歴書に糊で貼り付けてくれる。
「みっちゃん、あなたと私は同い年よ、私たち、いつ小学校に入学したっけ!」
そうすると、昭和よね西暦はダメかもと、みっちゃんは慎重に細い指を折り、
今度は小学校から大学卒業までの年度勘定をしてくれる。
小論文もその調子、履歴書を書きなぐって忙しい私が、
「けさ書いたの読んでみて。ヘンだったら直すか私に教えるかして!」
すると彼女は、またもきれいなバッグの中から、はいはいはいと、
花模様の刺繍の眼鏡ケースをとりだし、ゆっくりとかけ、
「・・・・うーん、いいんじゃない、しょうがないよね、四百字じゃ」
遠慮がち。この人の辞書には否定がないのだ。
でも、私はそうはいかない、性質もちがう。
えーっ、とびっくり仰天してしまう。
「四百字じゃないわよ、八百字のはずよ?!」
「だってこの原稿、四百字しかないわよ、つんちゃん」
みっちゃんはクスクス笑い出す。
「ああ、だからこれ筋書きだけだったんだー、おかしいと思ったあ、ははは」
私ときたらば、二百字の原稿用紙を四百字用とサッカクしちゃったのである。
「つんちゃんらしいわよねー あははは」
じょうだんじゃないわよ。
珈琲屋のテーブルのごちゃごちゃの中から新しい原稿用紙を私はさがして、
四百字を八百字に水まし。時計を見るともう二時四十三分。
「ヘンなとこないか、私が書いたら見て、すぐ清書するから!」
「えー、今からで間に合うかしらあ?」
のどかな声のみっちゃんは、バッグから赤い皮のペンケースを出す。
鉛筆をかまえて、せっせとなおしてくれようとするのである。
心理学の講座で勉強してたから、すずしい顔ですいっと直せるわけなのだ。
ぜんぶ書きおわったら四時だった。クルマは上北沢の駅ちかくにとめてある。

提出したのが五時十五分。
天使のみッちゃんは、ため息をついて笑うと、うら声で言った。
「あーあ、おもしろかった!」
「うん、そうねー。《あくび》のカフェオレもおいしかったしねー」
とかなんとか私も言っちゃった。