2012年2月19日日曜日

板尾創路 月光ノ仮面

「月光ノ仮面」という映画を観た。
板尾創路監督・主演。

板尾創路の顔にものすごく感心した。
自分が演じたい人間の内面を、彼は無表情の「表情」で語る。
その顔は意図を示して余すところなく、無言無表情でいながら鮮明ですさまじい。
「月光ノ仮面」で彼が演じたのは兵隊である。
戦死したはずなのに他人になって帰還した負傷兵である。
その兵隊である板尾創路の姿が、あまりに、
血のにじんだ包帯のまき方といい、軍服のありようといい、ゲートルといい、
なにもかもが「千鳥が淵墓苑」の底から、「英霊でもない兵隊」が浮かび出たようで、
古い行李の底にしまい込んだ戦死者の忘れられた軍服が出てきたようで、
それがあんまりホンモノのようで、
何かほかのことは、例えばストーリーまで、どうでもよくなってしまうのである。

脚本も板尾創路、ノヴェライズも板尾創路。
主演もおなじ板尾創路だ。
この人を全然知らなかったからビックリしたが、吉本興業の漫才師なんだって。
トシはやっと五十才ぐらいだろうか。
いったいどういう人なんだろうと調べたら、お父さんが川柳の板尾岳人。
文人にして社会派自由人の家系。素直にすくすく育つとこうなって。
立派だ。

「月光ノ仮面」という映画はとても古臭い。そういう手法で語られた戦争話。
戦後まもない頃だとこの手の映画はあったし、さんざ観せられたように思う。
しかしそれでいて、昔の映画とは一線を画するものであって、
信じられないものを観た、すごくあきれたという気がしてならないのは、
板尾創路のゾンビみたいな復活の仕方が、圧倒的にまとも純粋であって、
しかも土台の脚本の主張が、右翼的でもなく曖昧でもないからだと思う。
どうだっていいような映画だとはとても思えない。

アメリカ軍基地YOKOTA横町の、落語の寄席小屋。
伝統芸能落語のこの寄席にくるのは笑いたい客ばかり、なんでも笑うのである。
ほとんどすべてを受け入れて、どんなことにも他愛なく笑みくずれるのである。
そこへ、ふらふらっと舞台中央の座布団に上がる記憶喪失の負傷兵。
彼が異様であり、奇妙奇天烈であっても、まだそれは昨日の出来事のうち、
人気ネタ「粗忽長屋」をお経みたくブツブツ呟いているわ、顔面包帯だらけだわで。
これがあの自他共に許した天才落語家「森乃家うさぎ」であってもなくても、
イヤぜひ商売上そうであってほしいし、温情放任適度アバウトな大師匠が、
みとめたんだし、だからまあいいや、どっちでも。

それで映画の後半、浅野忠信「森乃家うさぎ」がもう一人還ってきちゃって、
だからどうなったのか、どういう筋書きなのか。
私はこんがらかっちゃって、なんだかよくわからないで映画館を出たが、
とにかく映画は、寄席に集まる好意的かつお人よし風の日本人全員を、
板尾創路《森乃家ウサギ》が虐殺して終わったのである。

さて、もしもである。
もう一人の《森乃家ウサギ》を、亡き古今亭志ん朝が化けて出て演ってくれたら、
そして森乃家一門の大物師匠役を、亡き柳家小さんが同じく化けて出て演ってくれたら、
これは本当にゾッとするようなすごい映画になって、わかりやすかったろう。
戦争は志ん朝ほどの逸材だってぷいぷい殺したろうし、
日本人はどんな場所でも、こんな事でも、みんなして、わっしょいわっしょいと、
笑ってそれを、なかったごときにしてしまい、
そういう無節操によってけっきょくまた虐殺を招きよせるのである。