2012年7月12日木曜日

本の背を読む幼児


疎開先の葉山一色海岸を引き揚げた両親は、大邸宅の二階を借りた。
下北沢である。
敗戦後のことで、そこには持ち主の社長一家はもちろん、
私たちのほかにも、書生や、あかちゃんのいる若い夫婦が住み着いていた。
天井でネズミがかけまわっている、東京大空襲を免れたおおきな家・・・。
池があって、石灯篭が立っていて、築山のかげの防空壕は水びたし。
ふだんは開けない大玄関だとか、閉めたきりの大応接間だとか。
電話室の電話は手巻き式。
大きな柱時計の動きがとまると、横の階段の途中から扉を開け、誰かがネジを巻く。
塀はぐるりと高い黒板塀。桜と八重桜と松の木とモミジと百日紅の木がある、
そんな家でも、戦争に負けたのだから、
真冬、火鉢だけしかなかった。

二階東南の角に、屋根にとりつけた木造の物干し台があり、
廊下に、雑多な本を投げ込んだ、うちの大人用本棚が置かれてあった。
どの題名も漢字ばっかり、四才や五才には、ひらがなしか読めない。
読めるのは二冊で、私はそれを音読する。
「かひしなの」と声にだして言い、「なすの夜ばなし」と、たどたどしく読むのだ。
夜という漢字は、祖母が、私にきかれて教えたのだろう。
それを読む。物干し台にのぼり、また本棚の前にもどる。
冬、物干し台のまえは陽だまりになって暖かい。こどもは猫みたいなものだ。
私は、ふたつの背表紙を何回となく読み上げ、首をひねり、本棚からはなれ、
またもどってきては、首をひねるのである。

ナゾという言葉を知らないときのナゾは、霧のようにも深いものだ。
「かひしなの」のほうは、あっちから読みこっちから読んで、
かひ、も、かひし、も、ひしな、も、読んでも歯がたたないからあきらめたけれど、
なすはちがう。
なすのことならよく知っている、考えこんでしまう。
なすは、いったいなぜ、夜になると話をするのか、昼間はあんなに黙っているのに。
四才がまるっきりひとりで考えるとなると、そこがわからない。
なすとなすが話しをするのか、
なすはそれとも、この本を書いた人にだけ、夜になると特別に話しかけるのかしら。
真夜中の月の畑で、なすに、どんなことが起こっているのか。
いけばそれが、きっとわかる。
ー絵本の影響で、幼い私は夜の畑には月がかかっているときめていた。ー
しかし、どんなにそれを知りたかろうと、こどもだから夜中は眠らされて、
月光の下の真実については絶対に知ることができないのだ。

それは、いま私が知っている漢字をつかえば、懊悩、というべきほどの感情だった。

・・・自由に文字がよめるようになると私は、少女の私の読書でいそがしく、
「かひしなの」も「なすの夜ばなし」も忘れ、知らん顔の無関係でほかの本を読んだ。
読みやすい本ばっかり。
継母が少年少女用の本も出版する会社の編集者であったから、
私の部屋には子ども用の本棚が作られて、おもしろい本がヤマほどあったのだ。

なすは那須であり、かひは甲斐であり、しなのは信濃であった。
私ときたら、忘れがたい思い出のために、この二冊だけはだいじにとってあるのに、
六十年たってもまーだ読んでない。
読まないままで死んじゃうのかもしれない。
「なすの夜ばなし」なんか、小山内 薫の本なのに。
山花郁子さんにこの話をしたらふきだして、貸してくださいって言った。
お元気だろうか。