2012年7月27日金曜日

誕生日を祝う


今日は私の娘の誕生日。

彼女はまんなかの子で、ほとんど親の手をかりずに育った。
貧乏だったから入院助産制度の適用を受け、出産費用は公的援助のおかげで
2600円ぐらい、それだって払った時、とても苦しい気がしたのをおぼえている。
そう書くと、明治か大正の話みたいだけれど、昭和も後半のころの話である。
結婚してからずーっと、私たちはものすごく貧乏だった。

遥がまだ子どもだったころ、
あんたってこんなにビジンなのになんで足のかたちがマッスグじゃないの、
どうしてかな、まったくどうしてこんなになっちゃったのかな、と私が心配したら、
「お母さんが手抜きして2600円なんかで生むからだよ」
と言うのだ。
テレビもないしお風呂もないくらしで、娯楽といえば冗談ぐらい、
この冗談はすごくいい、すばらしく気がきいてる、
遥はとても頭がいい!
そう思っちゃってわーっと笑ったら、遥もくすくすくすくす笑ったのだ。

かみさま、この子は母親の私とはちがう遠くへ、
世界のどこか遠い彼方へ出かけて行くヒトにしてください。

先の見えない貧しさが苦しく、私は娘に遥という名まえをつけた。
本当にかなう夢だなんて思えなかったのに、なんにもしてやれなかったのに、
彼女はロシアへ行き、その後オランダで生活する人になった。
ロシアの演劇アカデミーにいたころは、きれいな人みたいにしていたけれど、
オランダで何年か生活して、そこからフィンランドに私と健に会いにきた時は、
厚着したインディアンみたいな女の人が空港にあらわれたというかんじ。
あー遥、なるほどねーと。
オランダは質実剛健のお国柄、それにああやっぱりこの子は演劇は捨てたのか、と。
弟が、遥はよくなった、こっちの遥のほうがずっといいよ、と言っていた。

遥というといつも私が思い出すのは、自転車の荷台から落っことしたことで、
なんのかげんか、ちいさな身体がうしろにグルンとでんぐり返って地面に転落したから、
私も幼い遥も、ふたりとも、ものすごくビックリした。
怪我もしないで、でんぐり返って着地したのが奇想天外にして意外、
ホッとした反動かなんか、急におかしくてなっちゃって。
「ごめんね、遥ちゃん、あーおどろいた、ケガしなくてよかったあ。
死ぬほどビックリしたよ、お母さんは。
でもさあ遥、でも、どうしてあんたって大丈夫なの? サーカスじゃないの、まるで!」
地面に落ちた遥のほうは、固まって私を見上げていたけど、
まだ赤ん坊にちかいから、ああのこうのとは言えない。
ビックリしたまんま、かわいい声で、やっぱり私といっしょにげらげら笑ったのだ。

まだ、ある。
保育園の帰りみち、手をつないで歩いていたら、電信柱の鉄の張り板にドカンと激突。
おでこと鼻のあたまに、張り鉄板の粒々のアトがおもいきり赤く浮き出してしまった。
あまりのことに、
「どうして、なんでよけないのよ?!」
「だって、だって、目をちゅぶってたもん」
もちろんワアワア大泣き、イタイイタイと怒っている。
「おかあちゃん、なぜ、デンチンバチラになるよって、はるかに言ってくれないの!」
「だって、まさか目つぶって歩いるなんて、知らないもん。
あのさぁ、手をつないでるからって、
目をつぶるんなら、ちゃんと教えてくれなきゃダメなのよ。」
そう言ったとたん、ふきだしちゃって、もう。
「ごめん。遥がかわいそうでたまらないけど、ごめん、おかしくってダメだこれは!」
子どもって、なんてヘンテコリンな生き物なんだろう。
手をつないで話をしながら、ごきげんで歩いているかと思えば、
目なんかつぶって、自分だけひそかに、またべつにも遊んでるのである。
そうとは知らないお母さんに引っ張られて、ちっちゃい遥さん、ドカーン。
「遥さあ、そりゃお母さんが悪いけどさあ、ムリよー、わかんないわよー」
だっこしておんぶして謝るんだけど、どうにもおかしくって。
遥はまたしても、泣きながら怒りながらげらげら笑っちゃうという、
気の毒な運命の人になったのであった。

遥へ。
お誕生日、おめでとう。うちの子どもに生れてきてくれてありがとう。