My Mother said that I never should play with the gypsies in the wood, The wood was dark; the grass was green; In came Sally with a tambourine. I went to the sea-no ship to get across; I paid ten shillings for a blind white horse; I up on his back and was off in a crack, Sally tell my Mother I shall never come back. -Songs of Mother Goose-
2011年9月29日木曜日
生きる証(あかし)という名まえ
幻影 中原中也
私の頭の中には、 いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでゐて
それは、紗の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。
ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あはれげな 思ひをさせるばっかりでした。
手真似につれては、唇も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見てゐるやう_
音はちっともしないのですし、
何を云ってゐるのかは、分かりませんでした。
しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
目付きばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。
「幻影」という詩をよむと、証生という名の青年を思い出す。
ニュージーランドからイスラエルへ行き、そのルートでイラクに入国した若い
バックパッカーが、人質になって首を切断されたのは、2004年10月のことだった。
なんて遠いむかしのことになってしまったのだろう。ほんとうになんて薄情に私は
すべてを忘れてしまうのだろう。
香田証生という人だった。
生きる証(あかし)という、まごころに満ちた名まえを生れた子どもにつけるような、
まっすぐでけなげな、親御さんの彼は息子だったのだなあ、と。