2012年5月14日月曜日

「町かどのジム」ー陽だまり門で


ジムは町かどのポストのそばにいる。
ミカン箱にすわって。朝も晩も、夏も冬も、いつだって。
そして走ってジムのそばに行くデリーに、かわいい滑稽なホラ話をきかせるのである。
「町かどのジム」 松岡享子訳 童話館出版

このお話が好きなのは、不幸な人がひとりも出てこないからかしら。

幼稚園で働いていたころ、
私の朝は職員会議のすぐあと、門のところで子ども達を待っていることだった。
まあ、陽だまり門の私、というところかな。
私はそれこそ、夏も冬も、門のところで子どもとお母さんを待って、
ホラ話というわけにはいかなかったけど、一日でいちばんおもしろい時間をすごした。
陽だまり門は石畳の坂の途中にあり、前は小学校の校庭だった。
目の前にプラタナスみたいな木があって、秋もすぎると黄色や茶色の葉っぱが落ちる。
学校の金網のむこうの潅木やいろいろな木も、そのときどきに小さい花を咲かせたり、
葉っぱなんかも自然のつごうで、深紅に色を変えたりした。
私はたいくつすると、きれいな葉っぱや花をつんで空にかざして見たりした。
空には、白い雲が陽気に輝く日もあり、飛行機がすぐ近くを通るときもあった。
ただもう真っ青で、ワスレナグサのようだという空もあった。
雨の日、傘をくるくるまわすと雨の粒がばらばらと飛んではねる。
門の前に行くのが早すぎると、こどもたちがなかなか来ない。
こまってしまう。
陽だまり門は外なので、考えごとってしにくいものなのだ。

石がすごく好きな坊やがいて、ふたごの一人なんだけど、
朝、陽だまり門にやって来ると、だいじそうに小石を私にくれる。
好意がうれしくて、うわあ、ありがとう、だいじにするわね、と私は言った。
どうやってだいじにするのと職員室まできたので、赤い筆箱を見せる。
ここにしまっておく、この赤い色いいでしょ、筆箱よ、あなたもおぼえててね?
「ずーっと? ずーっとそこにしまっておくの?」
そう、ずっとよ。この石、私のお守りにするからね。
「いっしょう?」
一生というわけにはいかないかもしれない、一生はながいもん。
でもここに入れておく。なくさない。
「これはすごくいい石なんだよ、せんせい。だいじにしまってよ」
うん、だいじにしまった、ほら、ここよ。
「ちがうよ、名まえ書くんだよ。」
名まえ、あなたの名まえ?
「ちがうよ、つぎこっていうんでしょ、せんせいの名まえ書かなきゃだめじゃないか」

三日間に小石は三つ、そのたび亜子、tsugiko、つぎこと書いたけど、
四日目に四つ目をくれようとするし、とまりそうもないから、
これ筆箱で石箱じゃないんだから、私、石はもういらないと言うと、
ほそくて白い首をがっくりうなだれて、
「じゃあ、じゃあ、なんだったらせんせいはいいの?」
しおれた細い身体と声があんまり親切でいっぱいなので、
いろいろ、いろいろ考える。
この子はおじいちゃんとおばあちゃんにすごく可愛がってもらっているのだろう、
家族もどこかうっかりほわんと、子どもにとって自然な家族なのだ、
そうでもなければ、こんなかわいい声の男の子にはならないものだ。
やせっぽちで、身体が弱そうだけど、
このめったにないような親切と愛情深さで、
ちゃんと世渡りができてしまうにちがいない。
くるしいことも悲しいことも、ニンゲンだからあるだろうけれど、
おそらくきっと大丈夫なのだ。
まだ四才なのに、今からもう、おまもりみたいなヒトなんだし。

五日ぐらいして、小石のかわりに道端でつんだらしいお花をくれた。
お花がいいな、と言ったので。
どんなにがんばっても、その花束は枯れる、ざんねんでも・・・。
「町かどのジム」はデリーに物語と愛をくれたが、
あの子と私の場合、あっちのほうがジムみたいだったなと、
赤い筆箱のなかの小さい石を、私はぽろんぽろんと、ながめるのである。