2012年5月31日木曜日

朗読 -文学のみなもと


今回の朗読の会は、各自の用意した作品が浮気の物語へと展開した。
意外や意外。
だって、これを朗読します、とみんながもってきたのが、
人生訓、天台宗発行のブックレット、小学校の国語の教科書、
そして私が用意したのがまた「教育基本法の精神」なのである。
どう考えたって、話は「浮気」のウの字にもならないはずなのに、それなのに。
ははは。

朗読したのは、障害をもつ子どものお母さんたちと、それからみッちゃんだった。
「本間美智子」という人に、できればもう一度会いたいと思う人は多い。
それは、彼女があらゆる意味で特別な人だからだろう。
私には、五年ほどまえに一人の母親から教わったことばが、
けっきょくのところ、みっちゃんの説明としては一番ぴったりだという気がする。
「あなたは、障害から代表に選ばれた子どもです」
この日は、わが子にそう言ったという母親の天才がヨコに腰かけていたのだ。
いかにも朗読が苦手という、内気な顔で。

そうだ、考えてみれば
たしかに本間美智子は、脊椎カリエスが「代表」に選んだ人間というかんじ、
個人としてのあり方が、すばらしい魅力を見せている人である。
障害がもたらすあらゆる苦労をおさえこんで、
みっちゃんが現在表現している美は、さりげなく自然に見えるけれども、
子どもだった彼女にあったものとは、またちがう個性、固有性だ。
すがすがしく気持ちのよい上品さ。
弱者を支えようという意志。
なんといえばいいのか難攻不落の強気と向学心。
笑いだすとのぞいて見えるけど、きれいでおかしなお人よし。
そしてなによりも、
第一級の弱者である、ということ。

これらは大人の魅力である。だってこうなるのってけっこう難しいから。

さて、そのみっちゃんが今回朗読したのが、
剃刀の刃のごとき味わいの、ある檀家さんがお寺にしたコワい相談。
浮気の顛末、タイトルは「病めるいのち」であった。
耳からきくだけの話が、
ききやすい低音と、生活に密着したことばの拾い方に助けられて、
身につまされ、顔をみあわせてしまうような、読後感を生んだ。
優れた朗読はまた、あなどれない話を呼ぶものであって、
浮気をされた妻女の怒りが浮き彫りになるにつれ、
参加した人たちみんなが、まるで数学の問題を解くように、
激しい怒りと恨みがいつまでも燻り続けるのはどうしてか、それを考え始める。

・・・たぶんこういう日を「文学的」というのだと、私は思うのである。