2012年5月21日月曜日

私としては優雅な散歩


散歩をして一日を過ごす。。
5月5日の子どもの日に「ここはいいな」と思った都営三田線の芝公園。
デモのために集まった場所だけれど、周辺が好きである。

原発反対の集会がつまらないだろうと予想、
つまるとかつまらないとかは度外視するべきだというのが私の道徳だけど、
しかし主催者にやはり言いたい。
そういう私なんかの道徳は古いしヘンだしダメなんじゃないの。
たくさんの人がその集会のために、万障繰り合わせてやっと集まるのだ。
こどもまで連れて。次の日はきっと朝もはよから働くわけなのに。
原発に反対しよう、意思表示しよう、つまらなくてもそれは言うまい、
とにかくあの日はそう考えて参加したけど、予想通りにつまらないってありか。
集まった人たちに見合う「論点」を真剣にさがした形跡が見当たらない。
すでにみんなが知っている、判っていることばかりをマイクで叫ぶ。
わるいけどウンザリだった。
さそった人にもうしわけないようで、
デモ行進のあと、芝公園の周辺をあらためて歩きなおしたのだ。
・・・寒い春で、5月5日、薔薇園の花は開花していなかった。
薔薇が咲いたらぜひもう一度、とあの日友人が言った。

プリンスホテルでランチ。窓際の仄明るい席で珈琲を飲む。
とてもしずか。
地下のショッピング・アーケードを散歩、も楽しいけれど、
今日は増上寺の裏道をぬけて、ホテルの?薔薇園に行く。
薔薇園は、東京タワーのそばにあり、
フランス庭園みたいなふうじゃなく、
ばらばらーんと各種の薔薇たちが風にそよいでいる風情が好きである。
薔薇の香りと形と色彩が、完全じゃなくてホッとするのだ。
・・・ながめながら歩くうちに、いつか夕方のほうへと、時が寄ってゆく。
私たちは、増上寺へと来た道をもどり、
お寺のりっぱな本堂に入り、並べられた椅子にこしかける。
座し給う黄金が黒ずんでみえる阿弥陀如来の仏像を遠くにながめながら、
音吐朗々の読経を、ロウソクの灯りとともに、黙ってきくのである。
空間と音響と。道具立ての風格。

それにしてもどうもおかしいのは東京タワーであって、
増上寺の厳粛そのものの屋根瓦の横にビョーンと
赤白だんだらに突き出して聳えてしまっている。
これが建てられた当時は、実にシャクにさわる眺めだったと思うが、
業平橋(なりひらばし)という美しい名の駅がスカイツリー駅となるような昨今だ、
もうなんでもいい、景観なんか風情なんか、日本的ということなんか。
今じゃ東京タワーのほうも風化して、哀愁とともに詩情をさそう。
東京駅だってわからないわよ。
大改装が終わったら、東京シティセントラル駅とか言われちゃうかもだ。
そう、東京タワー、プリンスホテル、増上寺の三点セット・・・・。

あのデモンストレーションの、
集会の魅力のなさは、どこからくるのか。
先日ランキンタクシーのライブに出かけて、その原因がよくわかる気がした。
同じ原発反対を語るにしても、
ランキンタクシーという人は、表現に「タブー」を設けない。
集会で行われるインテリの発言は、よく考えると「タブー」だらけだ。
芸術家ランキンタクシーの規範は、人々にも権力にも弱者にも媚びない規範なのだ。
おどろくほど開放的。表現の自由そのもの。インテリと一線を画す平等感。
たいへんな勇気。ウソがない幸福。
ランキンタクシーのレゲエ音楽って、命がけなんだと改めて考えた・・・。