2014年1月20日月曜日

音楽前夜社のライブ ①


ずいぶんと大きなGoRoGoLoのレコハツ(レコード発売告知の略?)。
午後1時から9時まで18組のバンドがライブハウス下北沢スリーに集結。
明日月曜日はどうなる、働くという返事、すごい。

GoRoGoLoの企画はどこかスマートであって。

演奏会場としてライブハウス2か所を確保。あっちとこっちで演奏し、リハーサルをやる。
次に演奏するバンドが、観客が移動して空っぽになった会場で音の調整などする仕掛け。
時間の無駄がない。ごったがえしながらゆったりと進行。鮮やかなものである。
メンバーのキムさんがカレーをとんでもない狭いところで作って売ってる。
「ルーは今回小麦粉からつくりました」などという。
(だいたいこのライブは8時間ぶっ通し、頭は音でガンガン、おなかも空いてしまう。)
いったいどれほどの人たちがいたのか。
チケット購入150人限定、とおしえてくれた人がいた。
そうだとすると200人は集まったにちがいない、遅く来る人、早めに帰る人、ずっといる人。
ちょっと一息つきたくてリハーサル側の会場に行ったら、ソファや椅子に腰かけて
大音響の中ぐったり疲れて眠っている女の子がいた、それもおもしろい。

画家の箕浦建太郎にひさしぶりに会った。
今日演奏するのである。
私は彼の白紙に描く線を尊敬している。それは何千回何万回と描き続けた画家の曲線で、
マティスのようだと思う。しかし、彼の曲線がどうしてああいう絵になるのか、
そこが私には理解できず、クビをひねり、内心肯定したり否定したりするばかり。
よくわからないというのとはちがう。よくわかると自分なりには思っている。
むかし彼に、自分というものが全部でていてこれなら嘘がない、という絵をもらった。
彼の展覧会で「これがいい」と言ったからだった。
手放したくないなという葛藤があんなに若々しい顔にでていたのにもらってしまった。
それから、ある時、芝白金あたりのエスニック料理店での展示の中から、
私は彼の絵を一点買った。
よくわかるということと、彼らしい「かたちへの偏愛」がすごく納得できる一点。
その育つあてがない子どもの孤独といったような絵を、とられたらいやだとすぐ買ってしまった。
去年、箕浦くんは川島小鳥という写真家と共同作業で写真・画集をだした。
思いがけないことに、私が買ったあの可愛い絵もそこに入っている。
たぶん、たくさん売れていま以上に有名になるのだろうと思った。
いささかの悩みがまたしても生じたけれど、共同作業における彼の態度は好きだ。
彼は料理店でも、写真・画集でも、おどろくほど相手を生かす、ひっそりとしかも負けずに。
ほんとうに独特。

ミノケンのシンセサイザーとギター。35才と19才の演奏。
私はそれにタイトルをつけた。
「先進国における屠殺の現状」というのである。箕浦くんは笑った。
「なんだそれ、まるで政治的じゃないっすかー。」
景色が見えるような音楽だった、まるで記録映画のBGM。
川が見えて岩棚が見えて、森林が見えた色つきで緑の。鳥が飛んで。
無人兵器でイランだとかを爆撃するアメリカ人には、
勤務が終わって家に帰ると、無農薬の畑を耕したりするタイプがけっこういるときく。
日曜日には教会に行って神様にお祈り、チャリティーバザーだってやるよきパパだ。
コンピューターで人殺しって、だんだん楽しくなるのかもなー。
そういう殺人者の無感覚が音をきいているとわかってくる。
彼の絵はこの音楽のまったく対極にある。まあ気晴らしで開放かな、こっちはね。
しかしミノケンがおそろしいのは、りょうほうともが精確無比の写実だという、そこだ。