2014年1月8日水曜日

TIC・初級英会話クラスの英語劇


英語劇の台本をまんねん初級エイゴ出来ないの私が作る。
この時期になるとそうで、間に合わないから年賀状も書けない。
出来ないなら引き受けなければいいじゃんか、ということだけど、
難しいことをやらなくなれば、私なんか劣化する一方だろう。

クラスやサークルでなにかする場合、
たたき台がなければ、相談の時間ばかり長くなって、
けっきょく間に合わない。それで、たたき台だけでもとつい思う。
テキトウにやっとけばと言うかもしれないが、
うっかりそんなことしたら、見るに耐えないものができちゃう。
三人子どもを育てて、長いことPTAをやったから、
どうなるかいくぶん予想できるわけである。

たたき台は、ある程度ぼんやりしたものが好ましいと思う。
まー、そう思わなくてもそうなっちゃうけど。
変更の余地のあるものがよいということだ。
そうしないと活発な討論ができない。結果も悪い。
誰かが(私なんだけど)ぜんぶやっちゃうというのでは、希望がない。

場をみろ、とかいう強迫的なセリフは嫌いだけど、そこをわきまえていないと、
せっかくの討論を殺してしまうと思う。

エドワード先生は穏やかで控えめなアメリカ人である。
かのUCLAで演劇専攻だった。
私は桐朋学園の演劇専攻科を経て、劇団民藝へ。
私の娘はロシアのペテルブルグ演劇大学で演劇を学んだ。
そしてけっきょく、私たちはみんなべつの仕事に就いた。
今では部外者もしくはシロウトということだろうか。しかし、
一時期でも演劇を学ぶ対象にすると、演劇は私たちに魔法のような愛を与えてくれる。
自己表現をしながら生きていけと、叱咤してくれる。

私は、エドワード先生にぜひとも修了式で生徒がやる「劇」に参加してほしい。
せっかくの外人でしかも演劇畑にいた教育者なのだ。
TICとは「多摩市国際交流センター」の略である。
だとしたら、国際交流がとにもかくにも開放的に行われること。
それが一番しなくちゃいけないことなんじゃないの。

私たちのクラスに朱子(AKEMI)さんがいる。
新人類だなあと思う。
金髪、つけまつ毛、若いのに厚化粧という化粧法。
彼女は多摩国際交流センターの長である。
堂々と、しっかりと、こんがらかった重責を担っている。
去年の修了式の時も、なんとアテにできる人だったろう。
うちに来て、劇発表前の裏方作業を一から手伝ってくれてびくともしなかった。

彼女を見ていると、引き受ける、ということこそ成長の要素だと思う。
TICの会長を引き受けて以来、AKEMIさんは外見を変えずに、ひとびとに偏見を捨てさせ、
しかも自分の幅をひろげている。すてきである。
朱子と書いてアケミと読む、お孫さんにそういう命名をしたおばあちゃんの影響が、
どこかで働いているのかーもしれないねっ?!