2013年1月19日土曜日

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ


エルミタージュ美術館アムステルダム別館でゴッホ展を観る。
フランス印象派展が別棟でひらかれていた。

初期の油絵。
泥と炭がまざったような色の、ごつごつと貧しげなジャガイモだったか、
これを見てゴッホの才能を認める人はいなかったろう、という感慨をもった。
風景や人物の絵・・・。
ゴッホは貧乏で油絵の具も安いものしか買えなかったから、
黄色がまず褪色したと、遥が言った。
「ゴッホがこの絵を描いた当時は、少なくとも黄色がもっと絵にあったはずだって。
ゴッホは黄色をよく使う画家だったけど」
・・・美しい、光りと影の、印象派展のあとで見るゴッホである。

そもそもオランダの絵画は、貧相とは逆の印象。
盛り上げられた果物や鶏、飼われている猛禽類や牛、大量の花々。
真珠のような肌の宮廷美人、華麗でやさしげな身仕舞い、天使、宝石、
青白いイエス・キリスト、教会の僧正がまとう黄金の衣装、武具、調度品の数々。
なんだか、通りすがりの旅行者でしかない私には、そういう感じなのである。

それがゴッホ展となると、農民を描いたコローの絵の模写など、
不器用にも見える素朴?な絵から見物を始めるのである。
貧窮と孤独の一生。
あらゆる人との不具合。熱狂的信念。狂気。
弟テオに見捨てられるのではないかという経済的な恐怖。
たとえばアーモンドの木立に、漂い始めるゴッホの狂気・・・。
幸福といえば、ゴーギャンとの同居を待つあいだの期待にみちた淡い六ヶ月。
パリのゴッホ。広重の模写。
骸骨を描いた絵も見る。
人間のモデルを描きたくてゴッホは美術学校に入学したという。
「モデルになってくれる人はいないから、断られてしまうから」
しかし学校はスケルトン(骸骨)しか見せないし、描かせようともしない。
初級の画学生ならそうするものだ、という理由で。
「骸骨」はそういう馬鹿げた教育制度に対するゴッホの、憤怒を表しているのだという。


最後の作品が「カラスのいる麦畑」であった。
ゴッホの筆によって凪倒されては盛り上がる、黄色い麦の穂の上をゆく悲哀、
無言の画布の上に波立つ、迫り来る死によって決定する感情・・・。
見えないもののはずが、ゴッホの画布の上に感情はまざまざと存在する。
それは奇跡のような筆致の実現にちがいないのだ。
ゴッホが死んだのは、ロシア革命の30年ぐらいも以前であって。
当時のオランダで、
彼は生きとし生ける者の中でもっとも悲惨で貧しい人々を描こうとした。
それはこんな人生を選ぶこと、そういうことだったのだと、思ったことである。