2013年1月27日日曜日

ビネンホフ 国際感覚


夕暮れが夜になりかけている。
トラムに乗って走るうち、あたりが暗くなり、ビネンホフに着いた。
ハーグはオランダの、諸官庁、各国大使館、国連の機関などが集まる政治都市である。
ビネンホフとは国会議事堂で、13世紀にはホランド伯のお城だった。
このお城だった議事堂は、オランダの女王所有の古典的宮殿と隣接している。
上院、外院、総理府、外務省がここに入ってるんだって。
どれだけ大きいお城だったんだか。

これからジャズ・オーケストラを聴きにアムステルダムまで行くのだから、
くわしく見てまわる時間はない。それでビネンホフの門をくぐり広場にいただけなのだが、
無理にも遥にひっぱっていかれてよかった。
「国会が開会する時、ベアトリクス女王が金の馬車をあそこの門から乗りいれて」
と遥が言う。・・・宮殿で施政演説を行うそうである。
「金の、馬車?」
「うん、金の馬車よ」
「どういう演説をするわけ?」
「今年一年間オランダ国民はなにを課題とするべきか、話す」
その演説を受けて国会が審議をスタートさせる、大規模なパレードもある、と言う。

そういえばオランダは、立憲君主国だった。

「金の馬車かあ」
立地条件の弱さで、さまざまな強国の支配を受けた歴史。
有名な、なかば本気みたいなジョーク。
「神は天地を創造された、しかし、オランダはオランダ人が造った」
ハンス・ブリンカーという民話になった少年のこと。
この子は海と陸地を分けた堤防の欠壊をわが身で守って死んだのである。
(岩波少年文庫「ハンス・ブリンカー」はこの英雄の名前を借りた小説だった)
すなわち愛国心。

「金の馬車ねえ」
うらやましいような、おもしろいような、女王さまの権威というもの。
私はオランダに新年二日に到着した。
新しい年が来たんだから元気をだしたいともがいて。
ああ、あの去年のウソったらしい日本の選挙!

金の馬車で何百年も前からの宮殿に乗りつけ、
ネーデルランド連邦議会の開会に先立ち、国民に課題を示す。
そんな舞台装置と人物がいるなんて。
ブータンの王様がそうかな、とうちで読んだ新聞記事を思い出す。
議会がそれを受けて審議を始めるなんて、いいじゃないですかねえ。
平成天皇が金の馬車で、と考える。
福島のこと、憲法を尊重すること、沖縄の苦難について。
それを今年第一の課題にと、おっしゃるかも、などと。

日本の場合は、時の権力が天皇制を暴走させ、アジア諸国侵略蹂躙の手段にした。
島国だしアジア圏だし、戦後も私たちは国際感覚が弱い。
だから、やっぱり日本国憲法を軸にして、別の筋道を考えなくちゃならないのだろう。
あの時、憲法草案に連合軍の外国人たちが関与したことを、良しとして。

オランダには、ハーグ国際司法裁判所が、ある。
国家の犯した犯罪を裁く機関で、ものすごく大きなビルディングなんだから、
そこにはオランダ人だって大勢働いているだろう。
各国大使館も集中している。そこでもオランダ人は働いているだろう。
オランダの隣接国ベルギーは、ユーロの中心地である。
そこでもオランダ人は働くだろう。
リックが働いていた会社は、ベルギーに本拠を移した。
リックが承知すれば遥はベルギーに引っ越したかもしれなかった。

こういう国際的環境あるいは監視のなかでは、好戦的気分は育ちにくいのではないか。
君主および司法と、立法(国会)と、行政のいわゆる四権分立を、
オランダでは、権力をもった人たちも、注意深く守ろうとするのではないか。
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに占領され蹂躙された記憶が、
小国オランダの国民に、油断や甘えや人権マル投げを、許さないということもある。

たとえば、オードリー・ヘップバーンはオランダ人で、スイスでくらしていたが、
世界的アイドルになったあと、国連の仕事を引き受け、戦争で苦しむ子どもの保護に、
自分の残り一生の時間を捧げたのである。

それも、今は昔の、話かしら。

議論とか、異論とか、反論とか。
個人の正直な、しかしよく考えた論理がぶつかって、それが国家をつくる土台になる。
それができたら、貧乏でも質素でも、すごく幸福になると思うんだけれど。