2016年2月10日水曜日

ハインペルの歴史意識


阿部先生の本を読む。申し訳ないけど電車の中で。
文庫本だし、たいへんな内容のはずなのに、読みやすい。

「第一次世界大戦の敗北が伝えられたとき、ハインペルは17歳でした。彼は祖国の
敗戦に衝撃をうけたのですが、そのとき、ミュンヘンのオペラ座では『魔笛』が上演されていたのです。このことにもハインペルはたいへん強い印象をうけました。祖国が敗れたのにオペラ座では『魔笛』が上演され、立派な服を着た紳士淑女が観劇していたのです。ハインペルは共通の現在のなかに、さまざまな現在があることを感じとったのだと思います。」

「現在」というものの幅の厖大さに今どれほど私たちは悩んでいることだろう。
戦争は絶対にイヤだと確信して金曜日のデモに行く人。
テレビとメタボが当面の文化という人。
 ・・・考えても考えても、日本人はばらばら。
とまあ、電車の中で安易に読んでバチがあたったのかもしれない。
歯医者さんの受付で支払いをしようとしたら財布がない!

私はマラーホフ(世界的バレリーナ)のファンで、いやなことが起こると彼の本を読む。
天才だけど、やさしい人で、動物がすき。オウムのカーチヤのことなんかも。
そんな本を本棚からとって、財布をなくしたので読んでいたら、
おとなになった息子と多摩動物公園に行った時のことを思い出した。

途方にくれたような縞馬(シマウマ)、「現在とは空虚な空間なり」と言いたげな麒麟(きりん)、
わけもなくグウタラ親父化したライオンの王者なんかに、納得できない思いがしたあげく、
てくてく、へんな小道に迷い込んだら、そこに孔雀がいた、放し飼いである。
わわわっと健が悲鳴をあげる。ウラジーミル・マラーホフならすごく喜んだはずなのに。
ベンチがあったので、腰かけたら、
「立って、早く立って!せっかくだから記念写真を撮ろう、母さん」
孔雀が急に、いちおうという感じで絢爛たる羽をひろげたのである。

私が孔雀なんかとならびたくないのは当然として、
孔雀だって写真のつもりはなかったと広げた羽をしまいそうになっている。
すると息子は、突然どこぞのガイドみたいなものに変身、
「あのー、すいません、こっちのほうに立って、ここ、ここです。ヨロシクお願いしますっ」
カメラを手に。孔雀に。ケッコウ怖がってたのに。
孔雀に営業敬語で対応って奇抜。

あーあ、もういいや、財布のことはあきらめた。