2016年2月5日金曜日

木守柿という冬の季語


木守り。木守柿。
冬の季語である。
来年もよく実がつくように。
小鳥たちの餌としてひとつは残しておこうという家の人の気持ち。

木守り(きまもり)という言葉は、幸魂の信仰による次の新生を祈り促す形をいう。

木守柿ってつまりは
何もかも地上に落ちてしまった柿の木の枝に、
ポツンとひとつばかり残っている、孤児みたいな風情の柿の実だ。
北風ひゅうひゅう。
時々そんな夕暮れなんかに電車の窓から冬を眺めて、寂しくも懐かしい。

孤独死の ゆめ語るらく 木守柿
学くんの 夢と思いたし 木守柿



昨日は朗読の会の日だったけれど、事情が重なり人数が少なくて流れた。
それで、朗読を中止してお茶会にする。
よもやま話を盛大に。主として老人介護のさまざまが話題。
50代後半ともなれば、父母、舅、姑、独居老人のお世話をする人ばかり。
考えてみれば、知らん顔を決め込む情が薄くてさむいような人は、いないんだ?
自分をふくめて人間というものを深く考えることが、朗読の大事さ面白さだから、
結果、迫りくる運命をはっしと迎えてすごす気持ちの優しい人が多いということになるのだろう。
生来いきいき、のびのび、それでいて理知的で、ちょうどよく抜けてるというか。
ーそういう3人。
私は若い時、この人たちみたいじゃなくて残念だった。

ええと。
気がつけばこのワタシは老女だ、ええと、だからもうすぐ介護される側になるの?!
「いやだ、私まもなく機能不全状態になって、今の話の人みたいにスグなっちゃうの?」
思いついて急にそう質問すると、みんなびっくり。
まさかニッコリ腰かけてる私が、介護される側に限りなく近くなっているなんて。
「えー? ああ? ああそうなんだー?!」
冗談じゃないわよー、どうしたらいいのかしら。
眼のまえの賢そうな3人に、対策ってないのかと聞くんだけど、こまって眼をしろくろ。
・・・・・。・・・・。
・・・・。

けっきょく、みんなが言うにはあなたはなんとか大丈夫だろうと。
そのわけは、毎日、掃除、洗濯、ご飯の支度をこまこまとやってる。
いろいろな人が周囲にいる。刺激もある。映画は見てるしいつも本を読んでる。
ブログも公開してるじゃないですか?庭に花なんか植えてるし。園芸はいいんですよ!
毎日おんなじことはしてないっ。それをやめなきゃいいんですよ。
こういう人は90才なってもご飯つくって食べさせてますよ。

ははは。そうだといいけど。どーかなー。それホントなのー。
笑ってる今が幸福だ。