2016年2月2日火曜日

ブログ再開・謹賀新年


2015年11月、私はもうムリヤリに断捨離というべき、書類整理をはじめた。
断行、捨行、離行はヨガのことばだそうで、紙くずを45リットルの袋に入れて14袋
捨てたんだけれども、ほかにゴミらしいゴミも随分捨てたけれども、

断行は過去の自分の歴史を断つ、
捨行はこうあるはずだったという自分の未練を捨てる、
離行は去る人から自分も離れる 、
そんな決心をいうのかしらと、時々考えたりもした。

11月にはじめた片付けが終わったのが12月5日。
12月6日が小集会だった。

ご飯と盛大な一品持ち寄り。日本の行方を考えるミーテイングのための。
司会を桃塚怪鳥という変人奇人の貴人にお願いしたので、
そして集まってくれた人がみな個性的かつ悠々とした人ばかりだったので、
討論が実にテーマに沿っていきいきと行われた。
怪鳥さんの愉しく見事な司会がすごくって、私なんかはもうとてもかなわないのだ。
エリナ―・ファージョンの物語のオルガンひきのように、
「ああ引退する時がきたな」と言って、森の中に消えて行くのがよさそう、と思う。
・・・そうして、断捨離敢行の直後だったせいなのだろう、
小集会の終了後ふいに、あゝ自分は懐かしい父の理想を追って生きてきたのだと知る。
息子がふたりとも参加してくれたので、父から私、私から父の孫にまで、
思想のリレーをとにかくやりとげたのだという、感慨が胸をよぎったのである。

断捨離、小集会。
2015年は幸せのうちに過ぎたけれど、くたびれ果てて本を読むだけの年末。

元日に長男一家が来た。
おだやかな一日。

1月。遥がオランダから帰国。3週間いっしょに暮らすことができた。


Эさんは私の恩人だけれど、Эさんの長男が一月のなかば過ぎに亡くなった。
自宅での孤独死。50才になっていたのかいなかったのか。
彼がグレ始めた中学のころの姿が目に浮かぶ。
どこか気弱な笑顔が私の記憶に張り付いている。
髪型はリーゼントで、なんでそんなと言ったら、これでいいんだと、
金ぴか紫色の櫛を取り出して髪を梳いた。
30年以上も前、うちに遊びに来てくれた時のことである。
遊びに来てよと言ったら本当に来たので、ちょっとこわかったっけ。
少年だった彼のうえに歳月がふりつもり、亡くなる半年前に電話で偶然の長話をした。
おばさん、なんて言って昔のまんまで、
原発の作業員なら雇ってもらえるかもしれない、申し込んで通知を待っているんだと言った。

せつない、という言葉はすきじゃないけど、
せつないというほかに、なんと言えばいいのか本当にわからない。
Эさんのご家族のことを思いながら1月が終わった。