2016年2月15日月曜日

ひとりっきりで


DVDを借りて何度も見る。元気がでる。がんばろうと思える。
「ディオールと私」
「ナオトひとりっきり」

偶然手にとった、両極端のドキュメンタリー映画。
クリスチャン・ディオールの後継者ベルギー人「ラフ」のディオール・デビューを追うフィルムと、
福島の原発事故のあと、広大な富岡町に放っておかれた牛やダチョウや猫、犬、イノブタを
ひとりっきりで養おうとする当時55才の「ナオトさん」を追いかけるフィルムと。
なんでこんなにも違うモノを借りたのか、
落としたカード再発行手続きに行った蔦屋で。

フランスの極限までの華麗な贅沢。
荒廃の極にある富岡町の自然。
ディオールの画面はなにもかもが洗練され、美しくてため息がでてしまう。
ナオトさんの表情を見れば、その無表情や無口、微苦笑、作業着や長靴までが自然だ。
ああ、あんなふうに自分も一つの道を歩きたいと、心から思う。 
人間は広大な地球にからくも摑まって、運命に沿ってだれもが苦闘するらしい。
贅沢も、荒廃も、生き方によってヒトはそれをなにか人間的と言いたいものにに変えるのだ。
クリスチャン・ディオールの工房のお針子たちも、富岡町のナオトさんも、
それぞれが選択した部分を請け負って、そこで最大限の努力を繰り返すという一点が、
非常に印象的である。

友達が自宅にもどっている。台所は破壊されたままで、食事の支度も難しい。
自分の部屋にカギをかけこもっているのだろう姿を思えば、はらはらして怖くてたまらない。
うちに来たら、泊まればと私はいうけれど、彼女はこない。
「まあ、・・・慣れているから」という。
住んでいる場所で、どうしても今日明日でやらなければならないことがある、という。
それは必要な姿勢であって、こわいけれど尊敬にあたいすると思う・・・。
自己選択ぬきには、なにごとも決まらない。