2020年5月12日火曜日

CD「いつかはれたひに」PR


「いつかはれたひに」
コロナの騒動が始まって1か月たったころ、5月初旬に完成したCD。
ライフ・イズ、ウォーターバンドの製作、演奏、発売である。
ネットに流れているPR用のビデオ(PV)がすごくいい。
茫然自失、一億総自粛の日々に、予定通り集まって創ってしまったこのCDは、
若い人の複雑な心理や努力が見える聞こえる、そんな感じのものである。
あとになるとニュース映画の音響を映画館の暗闇できくような、
そういう臨場感が貴重だし懐かしいだろう、たぶん。

紹介用の短文を書いた。いつかはれたひについて(下記に記す)である。
これには、勉も応援文を書き、遥は歌詞やカットで関わっている。
うちって家族営業的。
だれかがなにかをする時、手伝えと声がかかればちょっと嬉しいけれど、
家族、とくに母親の場合、もう厄介だ。
図々しいとヒトは思うだろうし、ウソはかけない、ほめたらバカみたい。
さいしょ、長男のCDのために短文を書いたときは、偽名にしたが、
そのうちヤケクソになって、母親だと思われてもしょうがないやと。


「いつかはれたひに」2020/  5・12

信州の信濃追分で受験勉強をしていたとき17ページばかりの詩集をもらった。
・・・・・遠くからとどけられる信りはいつも軽い ここは現実の地点 
鈍重なおれの椅子 ぎらりとだんびらの痛みを引きぬいて・・・
1963年だった。手渡してくれた人はそのまま詩人になったろうか。
以来このフレーズをいつも私はもって生きた。
音楽も詩も、魂に刻みこまれ一生ものになるのは、こういう時があるからだ。
今回このCDをつくったヒトたちは、思いもよらぬ自粛の強制や都市封鎖の中で、
「ぎらりとだんびらの痛みを」引き抜いただろう。
それが現実の地点であり、否応なしのおれの椅子なんだから。
この「いつかはれたひに」は、不幸のただ中で幸福を手探りするものになった。
それは詩や音楽を手放さない人間の自然であり不自然であって、芸術の強靭性の
証明だと思わずにはいられない。
驚くばかりにタイムリーな録音であり完成と発売であったと思う。
おめでとう。よい作品ができたよね。

いつかはれたひについて

Life Is Water Band『希望』PV