2011年11月10日木曜日

amazing story


ーamazing story   または surprising story を話しなさい。
英会話の宿題。
まー、不思議な話があったら、ということでしょうか? 


2004年、私はひとりで飛行機に乗って、モスクワ経由でペテルブルグへ。
夏のことで手荷物のみの一ヶ月の旅である。
疲れきっていて、ロシア大使館にヴィザをもらいに行くのさえ苦しく、
出発するだけで大変。だからなんの準備もしないのだ。

何時だかわすれたが、ペテルブルグの到着ロビーは薄闇のなかにあり、
迎えにきた娘に連れられて扉の外にでると白夜であった。
・・・・・白夜。
考えてもいなかったのに、白夜というものがそこにある。

エレベーターで地下鉄の駅へ降りていく。大きくロシアらしい地下鉄である。
ここで降りるのよ、と言われて電車を降りた。
「ネフスキー大通り」と、遥が教えてくれる。
様々な時代の素晴らしい建築や運河に架かる古典的で豪華な橋。
そしてネヴァ河。
「さくらんぼ、買いたい、お母さん?」
ぼーっとしている私に、遥がきく。
もちろん買いたいというと、大粒のさくらんぼを二種類一キロづつも買うのである。
重たくないの? ときくと 「へいきだよ、うん」。
娘はロシア人みたいになったんだなあと思う。
私の荷物を持ってくれて、さくらんぼも持って、自分のバッグは肩にかけている。
遥の住居はスウェーデン人街とかにあるので、見物しながら歩いて行くのだが、
私はおかしな気になって、気分がどうもヘンだった。

橋を渡る。遥が話す。またべつの橋を渡る。遥が説明する。
ゴーゴリだとか、トルストイだとか、ドストエフスキーだとか、ツルゲーネフだとか、
それからもちろんピョートル大帝・・・・。いろいろな話。
私はヘンな気分だった、どうしてなのかわからないのだがおかしい。
なぜだか、ネフスキー大通りが隣人だったような気がしはじめて。
はじめて遠いロシアという国に来たのに、
自分はこの大通りを知っているのだ。
ネフスキー大通りのことを。

デジャ・ビュ。 既視感というもの。

遥について、霧のなかを歩いて行くような感じで歩き続ける。
通りは人でいっぱい、ロシア人で。ジプシーで。
突然、記憶がよみがえってくる。
そうだ・・・・、私の人生の最初の夢なんて、「ロシア文学者になる」ことだった。
中学校で将来を問われた時、そう書いた子どもの私。
高校生のころ濫読した数々の本、大学でとった第一外国語。
それらのページの中に、遥のネフスキー大通りが、あった。
どうしてこんなに完全にすべてを忘れてしまったのだろう。
信じられないことだと思った。
私は忘れてしまったのに、夢のほうが私をおぼえていてくれたなんて、
それがもっとわけがわからないことであった。

人生のどこかで、ねじ伏せ、沈黙し、諦めてしまった夢。
ああ、あの夢が私の本気というものだったのだろうか。
それが、いま都市のすがたをして悠然と片膝をついたのだ、という気がした。
amazing だった。