2011年11月4日金曜日

1994年の手帳


物入れの中の茶箱を開いたら、引越しの際に投げ込んだまま忘れていた手帳が
でてきた。ぱらぱらめくると、読んだおぼえもない本からの書き抜きがある。

視よ冬すでに過ぎ 雨もやみて はやさりぬ もろもろの花は地にあらはれ
鳥のさへづる時はすでに至り やまばとの声われらの地にきこゆ 
無花果樹はその青き果を赤らめ 葡萄の樹は花さきて その馨わしき香気を放つ
わが佳糖よ わが美はしき者よ 起ちいできたれ 磐間にをり 断崖の匿処にをる
わが鳩よ 我になんぢの面を観させよ なんぢの声をきかしめよ
なんぢの声は愛らしく なんぢの面はうるはし われらのために狐をとらへよ
彼の葡萄園をそこなふ子狐をとらへよ 我等の葡萄園は花盛りなればなり

聖書を読んだのだろうか?
隣のページを見れば、月曜日、松沢病院とある。母を連れて行ったのだ。
1994年。子どもの学校に行き、仕事をし、日曜日は少年野球の当番。
どん底からぬけだしているのだ本当は。そう思いたかったのかしら。

良寛さんのことばもあった。

病気になった時には 病気になったほうがよろしく
死ぬ時には死んだ方がよろしく候
これ災難を免れる 妙法にて候

この時分の私って、やけくそだったんじゃないの。
たぶん、やさしい人になりたかったのだろう、でも、なんとしてもそうはなれなくて
こんな気持ちにあこがれたのだ。

君がゆく海辺の宿に霧立たば 吾が立ち嘆く息と知りませ
降る雪はあはにな降りそ よなばりの猪養の岡の寒からまくに

翻訳まで書いてあった。
よき人のねむるあの猪養の岡は寒かろう
雪よそんなに降りしきるな あの人の墓の上に。