2011年11月21日月曜日

リソースルーム


2009年の5月といえば思いがけなく幼稚園の園長になって一ヶ月がすぎたころ。
園内通信に、私は「自分にもどる場所」として、リソースルームのことを書いた。
プレイルームと呼んでいたその部屋の説明はこうである。
「幼稚園では、職員室と調理室の間に、この部屋があります。クラスという多人数の中で、
ストレスをかかえすぎ、不安な気持ちになったり、安定を失ったりする子どもが、保護者と
担任の話し合いのもと、利用します。」

一ヶ月のあいだ勤務して、ざっと園内をのみこんだ時つくった通信だ。
園内の問題は、この部屋が安定することで落ち着くという判断を、私はしていた。

人間には、どんなヒトにだって、弱みがある。
会社でも役所でも学校でも幼稚園でも、団地の管理組合でもそうだけれど、
弱い者をそまつにしていると、いつのまにか自分の権利だって減ってしまう。
保育の現場のことでいうなら、
「クラスという多人数」にたえきれない子どもの心の痛みっていうのは、
いまでは会社勤めの一家の父親にまで蔓延した痛みだ。
まっ先に手をつけるべき社会問題として、保証し対処するのが当然だ。


さて、園内通信だけど。
左ページはリソースルーム担当保母の話
幼稚園は子どもの『社会性』をそだてようとしていますよね。
集団で、みんなで、遊ぶし、話し合うし、ね?

だから、支援の必要な子ども達は、
とても つらいんだと 思います。
集団が 苦手で。

だけれど
たとえ苦手でも、ここの保育のなかで、できるだけゆっくり、
たのしい園の生活を送ってほしい。
その方法のひとつが
ぷれいるーむ」です。

子どもによって、それぞれ
「プレイルーム」の使い方はちがいます、もちろん。
リラックスするために来る子もいれば、
クラスの中で 先生から話しをきくだけじゃ難しい場合、
かみくだいて、ゆっくり、時間をかけて 伝える。

保育を ていねいに 補う、そういうつもりです・・・・・。 


≪註≫   
ベテランらしい、やさしく考え深い表現である。                
幼稚園ぜんぶの子どもをこういう心がまえで保育できたら、
子どもたちはどんなに開放されるだろうか。
必要なことをぜんぶ言ってくれている、という声が
卒園していった子どものお母さんから、とどいたものである。


右ページは園長の気持ち。
さいしょ 幼稚園にきた頃 
おぼえなければならないことが多すぎて
頭痛 と言いますか
まー ガックリきまして おとななのに。
ヒヨコちゃんたちも、こうなのかな、とか 思ったりして。

それで くたびれると、

どこへ行ったかというと
 ぷれいるーむ
ちょっとステキな アコーディオンカーテンのむこうに
小さな机と 椅子があり、
誰も来なくて 静か。
しばらく ひとりでいると 落ち着く。 

プレイルームにはふたりの先生がいて それも、たのしいし。

そこは、あたたか味のあるお部屋です。
てづくりのウォルドルフ人形たちは
てづくりの人形の家にいて。 
この人形の家も、ふたつのテーブルも、バスの運転手さんが制作。
小型のトランポリンもあったりして・・・・・・。 


≪註≫) 
子どもとおとなの心の痛みはそんなにちがわないのだ。
それを癒やす生存に欠かせない安定した環境を、
おとなであれば自分がどこにいても、ていねいに整えるべきだと思う。
たぶん幼児たちのすがたから、直接学ぶのだろう、
リソースルームには、
人間の苦しさや悲しさをよく知るやさしい保育者が多く、
見ならいたいと思うことが多かった。