2012年8月21日火曜日

一番すきだ、という気がした映画


「フランスのレストラン」

私は無計画なその日ぐらしというタイプで、いつもこまったことになる。
そのかわり、ユメは、極小のユメしか見ないから、案外かなう。
たとえば、「フランスのレストラン」という映画を観て、
とてもステキだった、
あれこそ人類(じぶん)のユメだなーと。
そこでケッコウな影響をうけてしまう。

ふたりの男が風来坊なんだけど、海辺でレストランを開くのが夢だった。
自由なまんま、幸福に海風に吹かれてくらしたいのだ。
お金にこまらないで。いつまでも。レストランを開いたらちゃんと働いて。
ふたりはレストランの備品を、足りないとひろったり、もらったり、かっぱらったりして、
それから無力な、哀れで、あてどない女、こども、老女もなりゆきでひろって、
レストランをとうとう開く、よせてはかえす波の砂の上に。
浜辺にならぶ深紅のプラスチックの椅子の色がさすがフランス。
テーブルがアルミで、安っぽいから、ビンボーはやっぱり。
壁もなく、太陽があり、潮風が吹く。
ひきとった母子を好きになって、ふたりの男はべつべつに生きることになってしまう。
現実的じゃないほうのユメがかなうのが不思議。
詩みたいな心の、無垢であって、知恵のないほうのユメが、かなう。
映画だから。
根のない話。幸福なのだ。それはやっぱり映画なので。

こんなくらしは、フランスだろうとスペインだろうと、ユメにすぎない。

「フランスのレストラン」の主人公のひとりは、ロバンソンという名まえ。
この映画をむかし観た人がいるかしら。
まるでこんなストーリイじゃないのかしら。
なつかしい映画だ。

これっぱかしのユメや理想や思想って、少しはなんとかなるものだ。
なにしろバブルだったし、ひろった物ともらった物とで、
私は家をなんとか飾り、みんなで集まっては、四方山話をし、
できればじぶんの国を、貧しくても清らかに生活できる場所にと考えた。
それはユメだ。やっぱり根のない幸福で。

ユメは、過去から、できる。
人はだれでも、おとなになってから、じぶんの過去で、未来をつくる。
ユメというものは、生活とそりがあわない。
生活のみじめさがユメを創りだすが、ユメを支えるものは生活だということが、
わかっちゃいるけど、ホント、イヤなことだね。