2012年8月26日日曜日

ピン・ポン・パンクの日


早稲田大学ちかくにライブハウスがあって、
息子たちがゾンビイ、ゾンビイとむかしから発音するので、バケモンみたいな名まえを
つけるのも、ロックだからかと私はずっとカン違いしていた。
初めてそこに行ってみたらば、ホリゾントになんか血塗られたような英語が描いてあって、
読んだらZONE B ・・・。夜中だったら、やっぱりコワイかなーとも思う。

きのうは4時から、ピン・ポン・パンクというけっこう知られたライブで、
「ア・ページ・オブ・パンク」と「ディエゴ」も演奏。
長男と二男のバンドである。
集まった多くのバンドを見て、私もライブハウスにながいこと来ていたなと思う。
息子たちが演奏するからあれも聴きこれも聴き、考えながらながい時間が過ぎた。
たぶんフツウだったらとても続かなかっただろう。
きのうなんか、うちに帰ったら夜中の12時だった。

桐朋学園の演劇専攻科の廊下を思い出す。
私はそこの二期だったが、クラスメイトが楽器をもちだしてバラバラバラ、バラバラッと
もう年中やっていて、そのなかの何人かは職業的音楽家になった。
幼馴染に有名な「ロフト」の平野悠がいて、彼は三人兄弟の末っ子だが、
まーあんな波乱万丈過激?な人になるもんなんだなあ、と。
彼のお父さんと私の父は将棋友達である。
小さいころから知っていても男三人兄弟というのは、わけのわからないもので、
私が大学生になると学生運動まっさかり、悠のいまいましくも利口な兄貴が活動家で、
からかわれて、カンカンに怒ってくやし泣きして家に帰ったのも、おかしい。
とか、そう考えてみると、私の精神構造のなかに、
息子たちがロック・バンドにのめりこむようになると、
よくわかんないけどいったいこれはなんだろう、という好奇心が生まれたのは当然だ。
文化的素地というものである。

それであれやこれやを見たり聞いたり、劇場(ライブ)はなんでもすきだが、
十年以上も、ジャマだろうかなーと思いながらヨコで見て、
私にもすこしづつ「知っている人」ができたから、ホッとしている。
ピンポンパンクのアサくんをダッシュボードのときから見て知っている、
だからどうだといわれるとこまるが、
それなんか息子がいなかったらあり得ない。
素通りしないですんで、人生が複雑かつ興味深いものになった。

ライブハウスにいる人たちが、いったいなにを考えているのか、
自分とどこがどうちがうのか、それはなぜか。
言葉をつかって問いつめなくてもよい、単純な見たり聞いたりが、
けっきょく自分としてはよかった。

思い出したけど15年ぐらいまえ、「食事のときロックの話をしないでよ!」
と、かんしゃくを起こした。
なんで、ときかれて、「まるでわかんない話題だからよっ」と居直ったが、
今なら、どうやら質問ぐらいはするだろう。意見ぐらいなんとか言うだろう。
私も、私なりに、今じゃたいしたもんだと思うので、あーる。