2012年8月19日日曜日

生命を想う ③


どうしてあなたは誕生日を祝うのか。
どうして、生きるということを、喜ぼうとするのか。
あなたはなにをどう思って、人間の生命を肯定するのか。
それが、ききたいことだった。
そこへいく梯子に自分はどうしても手がかからない。

彼女は言った。
「たしかに私ってお誕生日をだいじにするわよね。
家族の誕生日はもちろん、いろいろな人のお誕生日をメモしておいて、
カードだけでも贈ったりするものね。」
どうしてそうなるの。
「うーん、やっぱり、生れるって、たいしたことだと思うから」
ふうん。
「なんでそんなことをきくの?」
私は、ちがうもん。だから不思議で。
「へえ、そうなんだ?」
いつからそう考えるようになったか、おぼえてる?
「うん、おぼえている」
言えるの、いつからって。
「うん、言える」
そこで、みっちゃんが私にしてくれたのは、
ざっと、つぎのような話だった。


結婚して、職場結婚だったし、そのまま働いていたの。
子どもがほしいと思うでしょ。
でも、妊娠しても、受け入れてくれる病院がなかった。
いろいろな病院をたずねたけれど、お医者さんに、ことごとく反対された。
私がこんな身体だからって反対ばっかり、拒否されたのよね。
親もそう、私の父親なんか堕ろせって。なにバカなこと考えてるんだって。
心配したのかもしれないけど、ひどかった。
母? そのころは、私、母がどこにいるのかも知らなかったから。
あきらめられないから、夫と本当にいろいろな病院へ行って。
とうとう、ある病院の中国人の揚先生という方が、がんばってみましょうって。
その先生にめぐりあえたから、おかげで出産できたのよ、幸運にも。
でもさあ。そうきまってからだって、またタイヘンでしょ。大変だった、もう、やっぱり。
なにしろ私は母体が小さいでしょ、あかちゃんが私のお腹のなかで、
ちゃんと成長できるかどうか。障害があるかもしれないし。
私がこうだから、どんな障害のある子どもが生まれても、
ちゃんと引き受けて育てようと思って、そういう覚悟はわりとできていたけど。
あかちゃんって、お母さんのお腹の中で、ふつうは足を上に縦になっているはずが、
私の場合だと、あかちゃんが横になっちゃう、せまいからね。
あかちゃんが育つと、内臓が圧迫されるから、私はもう寝る姿勢もとれないし。
苦しいし、不安で不安で、まあ誰でも不安なんだけどね。
妊娠中毒症になって入院して、ずっと。
いよいよ陣痛がはじまったというのに、いくら待っても生まれないの、二日間も。
ほかのあかちゃんは生まれて、あっちでもこっちでもみんな喜んでるのに。
先生もあわてちゃって困ってた。
でもすごい思い、痛くて、苦しくて、疲れちゃって、婦長さんが怒るし、
しっかりしなさいって、もうおっかなかった、がんばりなさいって。
はじめは帝王切開の準備を病院はしていて、手術で産むはずだったんだけどね。
そうしたら生まれる直前に、あかちゃんがお腹の中でぐるんと縦になって、
フツウの子みたいに位置をかえた、だからけっきょく普通分娩になったの。
人間って、生まれる時は産まれるようになるもんですって。
死ぬ思いをして、やっと産んでね。
私がベッドでもう疲れて死にそうになって寝ているところに、
看護婦さんがあかちゃんを連れてきてくれたでしょ。
みんなそうよね。
美智子ベビーっていう名札が、足につけてあって、ああ、生まれたんだって。
私はとうとう、あかちゃんを産んだんだって。
もう、私はその時、ヒトが生まれるって、命って、
本当にたいしたもんだなって思った。
やっぱり、その時よね。誕生するってすごいことだって、私が思ったのはね。

・・・だから私はお誕生日っていうと、大騒ぎするの、毎年ね。

私がだまっていると、
あいかわらず納得がいかないでいると思ったのだろう、
彼女はこうも言った。
「それに、もしも生まれなかったとしたら、なんにも起こらないもの。」
どういうこと?
「もしも生まれなかったら、私たちは宇宙の塵なんでしょ?
生まれなかったら、なんにも無い、ただの暗黒で。
そりゃあ悪いことも起きないだろうけど、良いことも起きない。
こどもを産んで育てる喜びもない。友達にだって会えなかったし、
こうやっていっしょにいて楽しいなんていうことも、なんにも無いわけだから。」


彼女と別れて、小田急多摩線に乗った。
ガタンガタンと、電車は夜の闇の中を走る。
終点から終点まで乗っても三十分とはかからない。
その日だって乗客は少なかった。
この電車から降りるまでによく考えよう、と思う。
ごちゃごちゃ言うのはやめよう。
自分はおかしい。
ここで、電車の中で決めてしまおう、なんだかそう思った。

私は選択をした。
生まれないより、生まれたほうがいい。
どんな状況になっても幸福をさがして生きよう、これからはと、考えたわけである。
まあ、みっちゃんのようにはいかないけれど。