2020年3月11日水曜日

図書館とはなにか 3


作家稼業の友人が1人いると、それが先輩ではなく友人の場合けっこう面白い。
いろいろ難題でいつも頭がいっぱい、しかもわかりやすいことこの上もない。
よくわからない時でも、ふーんふーんと聞いているとそのうち何かスッキリと
明らかになる。ああとかこうとか言いながら、ものごとの心髄に彼女の表現が
しのびよってゆく、作家だからである。

あの時もそうで、なにを失っても惜しいと思わないけど本だけはと繰り返し、
ダメにして捨てた書類の中に一生かけて集めた民話の資料もあった、
二度と手に入らないものもあって、出版社と約束もできていた。
そういう資料を使っていつか民話の歴史を書くという約束もしていた。
でもねよしんば今回それが残ったとしてもよ、と彼女は私に言った。
「もうトシを取っちゃったし、あたしは書かないまま死ぬんだろうけど」

そうよねえ。がっかりするのも無理もないわ、と私は考えながら言った。
「資料がそこにあるということは、あなたの可能性の留保だったんだものね」
相槌を打ったとたんに、私は自分について急に理解した。
私の家にあるあのたくさんの読まない本。買う時は考えて選んで買ったのに、
とうとう読まないままの。あれって私の可能性の留保だったんだ・・・。

ほかのことも、私にはわかった。
図書館とはなにか。
多摩市の図書館は、多摩市民の可能性の留保だったのだ。
本が好きな人もいるし嫌いな人もいるだろう。
でもいつか、市民のだれかに、あるいは国語ぎらいの子どもに、
真実を手段に人の世と向き合いたい時がくるとしよう。

図書館とは、その可能性を期待し、留保しておく場所なのである。