2020年3月18日水曜日

遥と彼方


むかし私は、乱暴なその日暮らしの母親だった。

子どもの生活の跡をていねいに辿ることもしなかったし、思い出も少ない。
写真も整理してない。貧乏なので仕方がなかったし、それについては
嘆きようもなかった。私は自分も、子ども時代の記念品のようなものとは
ほとんど縁がなかった。
ゆとりというものがあったら、少しはちがっていたろうか。

それでも、大人の絵のあいだに飾る子どもの絵が、うちにも2枚だけ、ある。
はるか4才、お母さんのつまり私の絵だ。その絵のお母さんはすごく怒っている。
無理もない、私はいつも怒ってばかりいたから。
緊張感のあるとても良い絵だと画家の津田櫓冬さんが言ったので、
そうかもしれないと額に入れて、危うく保存できた子どもの絵である。

それからもう1枚、幼稚園の園児が描いた魚の絵がある。
彼方(かなた)という子どもが幼稚園で魚類図鑑を観ながら無心に描いた絵だ。
教室にいるのがどうしてもイヤで、暴れては職員室に連れてこられる男の子。
ホールが空いていればその子と私は、そこに30分とか1時間とか隔離されて、
私は見張りで彼方くんは囚人なんだろうけど、いったいどっちがなんなのか。
子どもってこういう時どういうことを考えているのか、ずっとだまりこくって。
「あっちでママたちが御釜でご飯を炊いているわよ、見に行く?」
間がもたなくなってそう言うと、素直な小さな手が私の手につかまる。
私は彼と手をつないで、子どもの足がこまらないように幼稚園の廊下を歩いた。
なんで私をこの坊やがゆるすのか、なんだか全然わからずに。
この子は、べつの日には、職員室で何枚も何枚も絵を描いた。
魚類図鑑をみながら、色画用紙にクレヨンで魚、魚、魚ばかり描くのだ。
あんまり上手に描けているので、どうしても手に入れたくなってしまい、
非合法に?5才の彼にたのんで、1枚だけやっと分けてもらった・・・。

そういうわけで、私の家にも、子どもの絵が2枚ある。
このふたりの画家たちの名まえが、 遥と彼方なのがなんだか不思議。
4才と5才のふたりは逢ったこともないのに、時空のどこかしらですれちがい、
そして絵が、わが家の壁にとまっているわけである。2羽の小鳥みたいに。