2020年3月21日土曜日

ビリから2番


高校2年生の時、私は学年でビリから2番になった。
勉強というものが、どうにもこうにもダメだったのである。
300人だか400人だか覚えていないけど、廊下に成績が貼りだされて、
私ときたら全生徒のビリから2番目になったのである。

恥ずかしいし恐ろしくて、私はとても自分1人では耐えきれず、
家に帰るとすぐ、いつも原稿を書いている書斎の父のところに行った。
「父さん、私ね、ビリから2番になったの」
父は万年筆をゆっくり原稿用紙の上に置き、私のほうを向いて、
ほう、と言った。そりゃこまったなあ、と笑ったのだ。

笑いごとじゃないよと今にも泣きそうな私に、父はなんと言ったか。
「しかしな、お前さんはおれよりはましなんだぜ、つん公」
お前さんはビリから2番目だろ? おれなんかビリから1番だったよ。
嘘だぁ。びっくりしている私に、嘘なもんか本当さ、と父は言った。
「そのとき親父が、まずいことに学校でPTAの会長だったんでなあ、
具合わるかったよ」と思い出して笑うのだ。

その話のどこがおかしいのか私にはまるで判らなかった。
いつか自分にも笑える日がくるだろうなんて全然考えられなかった。
「それで、おじいちゃまは父さんになんて言ったの?」
「まあ、どうにかならんか、とか言ってたな」
「それで父さんは、どうしたの、どうにかなったの?」
自分の父親ほど頭の良い人はいないと思っていたころだ。
「どうにもこうにもなりゃせんよ、そんなものは 」と父は言った。
しかもなあ,
その時、弟の奴がさ、忠男君が学年で先頭から1番だったんだぜ、
おれは「カッコ悪かった」よ、まったく。
カッコ悪いは、当時の流行語で私がよく連発したから使ったのだ。

それから父はすごくおかしそうに私の顔を見て言った。
マヤコフスキーの詩をもじって、ビリから2番に、こう言った。
「だけどビリから1番でもさ、ははは、今じゃ、おいらもちっとは学者だぜ?」
それは ハイネ風の唄という短い詩の中の1行だった。


稲妻を、女は投げた、二つの目で。
「見たわよ、
ほかの女を連れてたでしょ。
あんたほんとにいやらしい
ほんとにあんた卑怯なひと・・・」
それから出るわ
それから出るわ
それから出るわ、悪口雑言。
おいらもちっとは学者だぜ、
ごろごろいうのはやめときな。
電気にうたれて死ななけりゃ、
かみなりなんて
へいちゃらさ。
               (ウラジーミル・マヤコフスキー)

中学生の時、父が読んできかせてくれた詩だった、
乱暴なことばをつかっているけど、それなのに汚くないだろうと言って。
つきあいで笑いはしたけど、でも私は、苦しいばっかりだった。
電気にうたれて死んだ方がよっぽどいいような気がして。