2020年4月20日月曜日

うれしい日曜日


目をさますと5時まえで、一羽の鳥が考え深そうに中空で鳴いている。
朝から雨降り。また目をさますと、小さい小鳥たちが、あっちとこっちで、
鳴いている。雨なのに不思議、いつ晴れるんでしょうかみたいな声だし。
あっちの声と、こっちの声は、雨に降られた木の枝のどこかから届くのだ。
その下に私たちが住んでいる団地の屋根。

昨日はお天気だったから、床を雑巾がけしたし、その前の晩には蚊取り線香で
部屋をいぶした。たくさんの洗濯物が明るい風に吹かれて、とてもよく乾く。
春になったのだからと、壁の絵も考えて取り換えた。
永井潔の、樹木にかこまれた暗い湖に白鳥が二羽浮かぶ、そういう絵である。
永井さんは劇作家永井愛さんのお父さんで、この絵はむかし私の父に贈られた。
「あの思想で、絵はこうか」と父が考えながら感想をいったほど、 
絵はまことにクラシックで重厚。
額だって質量ともに重たく、壁に飾るときすごく腕力が要る・・・。

風をたくさん部屋にいれて、朗読の練習をはじめる。
杖代さんが持ってきた「婦人の友」のエッセイの朗読。
万理さんと杖代さんと、三角形に離れてテーブルにむかってお茶を飲んだ。
ふたりの声と考えが、深くゆっくりと部屋をめぐる。
考える、ということが、とてもなつかしく自然で、
最近の憂うつから私たちを引き離してくれるのでうれしい。

「婦人の友」は大昔から続いている雑誌で、今もあるのかとびっくりしてしまう。
少女時代、毎月配達されてきて、表紙だけ見てふうん、でおしまいに。
それだから、こんな世の中になっちゃったのかなあ、と胸が痛むようだ。
杖代さんのお母さんは新劇の俳優で、私の母は編集者だった。
そんな文化分野?の職業婦人たちが、第二次世界大戦のあと、
読者になって守り育てた、素朴で野の花のように地味な本。
私の叔母さんたちもみんな読んでいた、もう60年も前の話だけれど。

その雑誌が今日はつぎの世代の私たちの真ん中にある。
いつも遠慮がちな万理さんの声をたくさんきけたのもすごくよいことだった。

追伸
    蚊取り線香の煙りってコロナ潰しにダメかしら、すごく燻るんだけど?
    やれやれ、そんなこと言ってもダメか。