2020年4月23日木曜日

個別的平常心


今日は「みらいクリニック」に行く日。一か月半前の予約である。
早朝電話をすると、看護婦さんが「診療しています、どうぞ!」
やさしくて朗らかな声だ。
こっちは内向的になっている、診療停止かなと想像している。
断られるのかなと思っている。
これがもう、つくづく、本当によくない。
疫病のまっ盛りだろうと、人間はしっかり親切、落ち着いて陽気がいい。
利口だろうとウッカリ屋だろうと、この際、どんかん陰気よりずっとましだ。
そういう気の持ちようが、体内に蓄えた免疫力をさらに高めるんだぞ。
歴史学者の藤原辰史さんだってそう書いているじゃないの。
76才にもなって、と私はこのごろたびたび考えてしまう。
それぐらいの気概を持たないで「人間」がどうする。
人間は、考える葦なんだぞ。

と、いくらがんばろうと思ってもですよ?
多摩市では、だれに選ばれたのか、夕方になると陰気な女のゆっくり声が、
うらめしそうに大気を制圧するのだ。
・・・緊急事態宣言が出ています。・・・家の中にいましょう。
外出を控えてください。・・・家の中では人との距離を2メートル以上、
離しましょう・・・。

いくらなんでも、こういう押し付け、かんちがい、鈍感ここに極まれりが
毎日のように続くと、コロナ的には一理あると思いはしても、
なにが家の中でも距離をとれだ、 「連帯」ということばが私は好きだったっけ、
などと思ってしまう。
非常事態は事実だろう。家の中にいる方が安全かもしれぬ。
でも、いつから市民は、こんな指図を役人にゆるしたのだろう?
家の中のことまで?! おかしいんじゃないの?!

今日、病院からもどったらポストにたくさんお便りが入っていた。
みんなが、遠くから慰めてくれている。
ポストには、はや夕暮れの風が吹き始めて平和である。
始めよければ終わりよし、というのは本当だった。
おばーあさん、おばーさん、そう思わないでどうする!!
と、私は4時半ごろ、自分にしっかり言ってきかせたのでありました。