2020年4月25日土曜日

春はゆっくり


窓から外をながめると、赤錆びた樹木の鬼さんが、ちゃんとこっちを見ている。
メタセコイヤがもう枝から何千何万の緑の葉を、無数に噴きだしている!
寒い春が終わって、それでも春の祭典はずっと続いている。
うちの庭の柿の若葉と比べると、メタセコイヤの葉は濃緑に見えるけれど、
葉っぱの幼子なのだから、そばに行ってみれば、やわらかい春の色にちがいない。
今日、私はベネッセ(老人ホーム)にいる叔母のところに、本を届けに行くつもり。
私より10才年上の、賢くてやさしくて本をたくさん読む叔母さんだ。
息子が運転して連れて行ってくれる、というからよかった。

私たちは甲州街道から吉祥寺のほうへ、西東京街道をどこどこまでも走った。
街道は花盛りだった。玲子叔母さんのいるベネッセは住宅街にある。同じところを
ぐるぐる、ぐるぐる。やっと見つけて、本をたくさん入れた段ボール箱を、手渡す。
迎えてくれたのは看護士さんで、こっちもマスク、あっちもマスク。
あらかじめ電話でお願いしておいたので、マスク越しでも安心。
看護士さんも私も息子も、とりあえず、にこにこ。
厳戒態勢、面会謝絶。閉鎖ぎりぎり友好状態。
私たちが来たことはあとでおっしゃって下さい、とお願いする。
以前は玲子叔母の部屋へ行ったし、帰るときは、玄関の外まで見送ってもらった。

頭がよくて、それなのに春の優しい花のようないい人だ。
私より10才年長。88才になろうとしているのに、考え方の柔らかさは変わらず、
何よりも賢いまんま。

一度だけふたりで堀江のご先祖さまを訪ねる旅をした。
浜松の弁天島に、むかし脇本陣だった建物が現在町営で公開されている。
「みょうがや」というその宿を、ふたりで観に行く旅をしたのだ。
私たちだって、堀江なのよねえ一応は、とか言って。
私の短命だった父も死に、長命だった有名人の叔父も死んで、その後だった。
年長の玲子叔母さんが、パソコンでスッとホテルや汽車の予約をした。
もう70才半ばを過ぎていたのに。
早稲田の経済学部で大学院まで優等で卒業、当時経済学部長だった叔父と結婚。
それなのにと言えばおかしいが、おだやかな優しい人で、笑顔が良くて。
なんでも判ってくれるし、偉い人達がいなくなると、 いっしょがとてもラク。

叔母さんはベネッセでも友達ができたという。気の合う人もいるし、と。
そんなふうにして、けなげに自分の苦労難儀にうち克とうとしている。
私の離婚した夫のお母さんに、どうしてかよく似た人である。

そういえば、この叔母の短歌の本を、姑に送ってあげたことがあった。
お義母さんは、短歌をやっていたから、とっても喜んだ。
「生意気ですけれど、私みたいな者にも〆切があるのよね、つんこさん。
これがね、この〆切が一人前に苦しいんですよ、本当に」
なーんて自分をおかしがって笑うような姑だった。
私をおかしがらせようとして。だいじな息子と離婚してしまった嫁なのに。
私は、ははははっとひっくり返って笑ったっけ、昔風の日当たりのよい縁側で。
このお義母さんのことも、私はずっとずっと好きだった。
 
今日はよかった、やっと本を届けられた。
私の叔母さんは、本がないとそれが苦しい人なのに、
クルマの運転がおぼつかなくなると、なかなか用がたりなくて。