2020年4月27日月曜日

息子の友人


こっち側のメタセコイヤのむこうに、あっち側のメタセコイヤがある。
私の家はメタセコイヤ通りに面している。
土手の上の家だから、2階にいると大きな樹の上部と向き合うことになる。
椅子にななめに腰かけて、ぼんやりしていたら、ゴリラが見えた。
緑いろのゴリラだ。今日はじめて気がついたんだけど、
向こう側のメタセコイヤが、向こうからゴリラ模様ですごんでいるのだ。
生き生きとした、よい眺めでは、ある・・・。

桃塚怪鳥さんに電話をかけた。桃塚怪鳥は息子たちのロック友達。
彼は川崎に住んでいる。曲がりくねった信じられないような急な坂道の
てっぺんの、そのまた家の階段をのぼった2階建ての小さな家だ。
なんで知っているかというと、何年かまえ遊びに行ったのである。
よく行けたと思う。息子がいなかったら、知り合いにもなれなかった。
 桃塚怪鳥という名前! 異様なステージ衣装、冬でも赤いパンツだけで、
(ほかにも細工があったはずだけど思い出せない)ギターをもって、
その姿で演奏する、夏でも冬でも。みぞれが降る夕方にだって。
歌声はもちろんふだんの声もよい、気持ちがていねいな優しい人で。
以上ぜんぶを組み合わせると、どう考えたって変人?!
はははは。 

彼をみていると私には思い出す詩がある。

辻 征夫の「春の問題」である。
    
       また春になってしまった
       これが何回めの春であるのか
       ぼくにはわからない。
       人類出現前の春もまた
       春だったのだろうか
       原始時代には ひとは
       これが春だなんて知らずに
       (ただ要するにいまなのだと思って)
       そこらにやたらに咲く春の花を
       ぼんやり 原始的な眼つきで
       眺めていたりしたのだろうか
       微風にひらひら舞い落ちるちいさな花
       あるいはドサッと頭上に落下する巨大な花
       ああこの花々が主食だったらくらしはどんなにらくだろう
       どだいおれに恐龍なんかが
       殺せるわけがないじゃないか ちきしょう
       などと原始語でつぶやき
       石斧や 棍棒などにちらと眼をやり
       膝をかかえてかんがえこむ
       そんな男もいただろうか
       でもしかたがないやがんばらなくちゃと
       かれがまた洞窟の外の花々に眼をもどすと・・・
       おどろくべし!
       そのちょっとした瞬間に
       日はすでにどっぷりと暮れ
       鼻先まで ぶあつい闇と
       亡霊のマンモスなどが
       鬼気迫るように
       迫っていたのだ
       髯や髭の         *ひげやひげの
       原始時代の
       原始人よ
       不安や
       いろんな種類の
       おっかなさに
       よくぞ耐えてこんにちまで
       生きてきたなと誉めてやりたいが
       きみはすなわちぼくで 
       ぼくはきみなので
       自画自賛はつつしみたい

彼の生活の断片を集めると、心の中はこうなるのかな、と空想するのである。